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2023.11.13
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二条城

何度訪れても新たな発見と出合える!京都[二条城]の見どころ

国内外から多くの人が訪れる京都の人気観光スポット[二条城]。城内に入ると街中から一変、雄大な歴史建築と緑豊かな庭園が広がり、春は山桜や里桜、八重紅枝垂桜など50品種約300本の多種多様な桜を楽しめる。紅葉の名所としても知られ、これからの季節はイチョウやカエデなどの多彩な木々が美しく色づく景色も見ものだ。
今回はそんな[二条城]に訪れたらチェックしておきたい基本情報から、歴史に隠された謎などちょっと変わった見どころも紹介。

写真提供/京都市元離宮二条城事務所

1.【歴史】徳川の始まりと終わりを見届け、移りゆく時代と共に

1601(慶長6)年5月、江戸幕府初代将軍・徳川家康の命令で造営が始まる。目的は来る征夷大将軍宣下に備え、徳川の世の到来を広く天下に示すことと、将軍上洛時の宿泊所とするため。1603年3月、家康は初めて[二条城]に入り、将軍拝賀の礼のため禁裏へ参内。諸大名をはじめ親王や公家衆、諸門跡を招き、城内で華やかな宴を催して将軍としての権威を強く印象付けた。
1605年には二代将軍・秀忠の将軍拝賀の礼で再び祝宴を開催、1614年からの大阪冬の陣・夏の陣で家康の出陣の地となるなど歴史の要所に。そして1626(寛永3)年、築城以来最大のイベントが行われる。後水尾天皇を招いた寛永行幸である。公武をつなぐプリンセスとなったのは秀忠とお江の間に五女として生まれた和子(まさこ)。参内から始まり、禁裏から[二条城]まで豪華絢爛な行列が繰り広げられた。秀忠は行幸を彩る舞台を整えるため修築を命じ、寛永の大改修を行った。

天下太平の時期を迎え、将軍は久しく入城することはなかったが、時代は幕末の動乱へ。約230年を経て訪れたのは14代将軍・家茂。幕臣や有力大名も足繁く登城し、政局を左右する場となった。1867(慶応3)年10月、15代将軍・慶喜が二の丸御殿で大政奉還の意思を表明。1868年、明治天皇が[二条城]へ行幸し、新体制の樹立を宣言する親征の詔を達する。ここで長く続いた武家社会が幕を閉じ、日本が近代化へと進んでいくきっかけとなった歴史舞台であるということはあまりにも有名だ。

明治政府が発足すると[二条城]は京都府庁として使われることに。その後宮内省の下で[二条離宮]と名を改め、国内外の賓客を迎える場となった。1915(大正4)年には大正天皇即位の大礼が行われ、皇族や国内要職者、外国人使節ら錚々たる顔ぶれが即位を祝う煌びやかな大饗宴の舞台となる。

時代は昭和を迎え1939(昭和14)年、宮内省から京都市に下賜され、一般公開が開始された。

2.【見どころ①】唐門には珍獣がいっぱい!隠された葵の紋も

二条城

二の丸御殿の正門である唐門。屋根は切妻造、檜皮葺で高さが10mある四脚門。[二条城]の数ある門の中で最も格式が高い

1625年(寛永行幸の前年)に建てられた二の丸御殿の正門。柱より上の空間はすべて彫刻で埋め尽くされ、龍や虎といった霊獣に加え、鶴や亀、蝶、松竹梅といった長寿や繁栄を象徴するモチーフが刻まれている。建物中央の梁の上に向かい合うように彫刻されている龍と虎は城を守護する象徴として配されたもので、唐獅子は門全体で10頭見つけることができる。それぞれの彫刻の意味合いを踏まえながら探してみるのも楽しい。
また、唐破風に取り付けられている菊紋にはちょっとした秘密が潜んでいる。菊紋といえば皇室を表すシンボルだが、昭和修理時に見つかった菊紋の裏側には徳川家の葵紋の痕跡が残っていたのだ。さらに平成の大修理で、屋根を受ける垂木の小口金具には、菊紋の下に葵紋が存在するということが分かった。

3.【見どころ②】狩野派が仕掛けた虎と松に注目したい二の丸御殿

二条城

二の丸御殿

将軍が京都滞在中の居館として造営され、寛永行幸の大改修で現在の姿に。入母屋造の屋根を持ち雁行形に立ち並ぶ6棟の建物に、武家風書院造で整えられた部屋の数は33。約800畳もの畳を使用し、廊下の総延長は約450mにも及ぶ。さらなる見どころは、近世日本を代表する画家集団・狩野派が手掛けた3600画を超える障壁画。幕府の御用絵師として、寛永行幸の大改修で殿舎を彩る絵画制作を一手に引き受けたのが狩野派だ。二の丸御殿では、桃山様式を受け継いだ豪壮な書き方と、奥行きを排除した新しい書き方、新旧スタイルが併存しているので見比べて楽しむこともできる。

二条城

座った来訪者の視線と同じ高さに虎の目を描くことで、さらに威圧感を増すよう工夫されている遠侍の障壁画

二の丸御殿最大の棟である遠侍は、来訪者がまず足を踏み入れる場所。控えの部屋として使われた一の間から三の間には猛々しい虎の絵が描かれ、威嚇するように睨みをきかせている。案内を待つ来訪者はきっと緊張したはず。

二条城

空間の視覚効果を利用して描かれた大広間の松図は、将軍の権威をより高める舞台装置

将軍が公式に諸大名らと対面する場であり、二の丸御殿で最も公的な大広間。大胆に描かれた松は、将軍の威厳を強調する仕掛けとなっている。一の間正面、将軍の背後となる壁面の松は、頭上で弧を描いて守護するかのような枝ぶりに。左右の松は大きく伸ばして描くことで下段から見上げる者は将軍が実際よりも遠くにいるように感じる。また、将軍が座る一の間の頭上の天井は、二重に高くした二重折上格天井になっており身分の高さを示している。

二条城

桜の移ろいに水辺で遊ぶ山鳥やインコなど、のどかな春が描かれた黒書院の桜の間

大広間からガラリと印象が変わる黒書院へ。こちらでは徳川家に近しい大名や高位の公家などが対面した。障壁画には四季折々の花木が描かれている。松も端正な印象に書き方が変化。天井は一の間のみ折上格天井で、金地の唐草模様に鳳凰を極彩色で描いた天井画が見られ、特別な格式を示している。

4.【見どころ③】多様な表情をもつ二の丸庭園は小堀遠州プロデュース

1953(昭和28)年に国の特別名勝に指定された池泉回遊式庭園。池に浮かぶ中島や鶴島、亀島は中国の神仙蓬莱思想に基づいて設計され、池の縁に配された多くの岩が変化に富んだ風景を生み出している。
築城時から存在していたとされ、寛永の大改修で小堀遠州が指揮を執り、現在の原型を作った。それまでは大広間や黒書院から眺める庭だったが、天皇のための行幸御殿が建てられたため、御殿からの眺望を意識して作庭。大広間や黒書院からは切り立った岩が多く配された武家らしい印象を受ける一方、行幸御殿からは中央と左右に置いた鏡石を芯とした柔和な光景が広がる。

5.【見どころ④】宮家ならでは優美な趣が漂う本丸御殿

二条城

江戸時代の宮家の住宅建築である本丸御殿。中央が膨らんだむくり屋根は数奇屋風建築で多く見られる。桂離宮などでも使われている。丸みを帯びた屋根の姿は宮家の建物らしい優美な趣が漂う。※現在は保存修理工事中のため観覧休止

丸みのある屋根が特徴的な本丸御殿は瀟洒な佇まい。1788(天明8)年の大火で先の本丸御殿が焼失し、現在の御殿は1893(明治26)年から翌年にかけて桂宮家の今出川屋敷から移築したもの。4棟で構成され、気品を感じる。
桂宮時代に当主が日常を過ごした御常御殿は、1階の御座では欄間など凝った意匠が見られ、2階は数奇屋風の意匠が施され、庭園が一望できる。御書院は宮家の公的空間で能舞台にもなり、賓客を迎えるに相応しい装い。大正大礼の祝宴で使われた当時の電気設備がそのまま残る台所や、貴族の世界が広がる玄関など、じっくりと見て回りたい見どころが満載なのだが、2023年現在は保存修理工事のため公開休止となっている。
さらに、こちらでも注目したいのが障壁画。幕末から明治にかけて活躍した絵師たちの作品が各部屋を彩り、四季の動植物や農村の風景など宮家ならではの優美さが作風に引き立つ。

6.【見どころ⑤】ちょっと変わった見どころも

焼失や改修を重ね、時代に合わせて姿を変えてきた[二条城]やその周辺には、建築物の他によく観察したい歴史的技法や、謎が深まる不思議な見どころも潜んでいる。

<石垣の違い>
まず紹介したいのが、防御の要で城主の権威を示す存在である石垣。主に用いられる3種の技法のなかの1つ目は、外堀西北隅から東に寄った一部に残る野面積み。自然石をそのまま、あるいは割っただけで使用する積み方で、隙間に小石を詰めて強度を補う戦国時代末期の一般的な技法だ。2つ目は特に内堀に見ることができる打込接ぎ。荒く加工した石を積み上げて隙間を減らすことで強度が増し、野面積みより高く勾配が急な石垣を築くことができる。[二条城]にはこの技法が頂点に達した時期のものが残っている。3つ目は打込接ぎの技法をさらに洗練させた切込接ぎ。石垣をより隙間なく積み上げることを目指した技法だが、外観は整うものの強度では打込接ぎに劣る。西門内側の石垣の一部に見ることができるので、それぞれの違いをチェックしてみて。

また、堀川通の東を流れる小川の石垣には、築城時に造営を任された大名の名前を示す刻印が残っている。丸に山や二重丸などユニークな印が刻まれているので、散策しながら探してみたい。

二条城周辺石垣

<3度傾いた二条城>
碁盤の目にように東西南北に真っ直ぐ道路が走る京都市内。そんな街中に立地する二条城も例に倣って築城されていると思いきや、実は堀川通と平行になっておらず、斜めに傾いていることはあまり知られていない。築城時に方位磁石を使ったが北と真北がズレていたせいなのか、地磁気の変動によるものなのか原因ははっきりしないが、南北の軸線が東に3度傾いているのだ。東大手門がある堀川通を歩いてみると、北にいくにつれ前の広場の広さが狭くなっていくことは、意識してみないと気付かないはず。

<直線上に並ぶ3つの離宮>
京都に残る離宮と言えば[桂離宮]、[修学院離宮]、[元二条離宮(二条城)]。実はこの3つの離宮、地図上で見ると一直線上に位置しているのだ。さらには御所までもこのライン上に存在。桂離宮は後水尾天皇の叔父・八条宮智仁親王が造営を開始し、修学院離宮は後水尾天皇が自ら造営するなど、いずれも[二条城]に行幸した後水尾天皇に関わりを持つが、偶然か故意か、謎は深まるばかり。

他にも、御所や門跡寺院に見られる5本線の筋塀が[二条城]でも使われていたり、勅使の間に入り口がなかったりと、不思議な謎はあちこちに。何度訪れても新たな発見に出合える奥深さも魅力だ。

7.交通アクセスと拝観情報

●地下鉄二条城前駅1番出口から
・徒歩すぐ
●JR二条駅から
・徒歩17分
●京都駅からバスで
B1乗り場
・9号系統(二条城・西賀茂車庫行き)→バス停「二条城前」で下車→徒歩すぐ
B2乗り場
・50号系統(立命館大学行)に乗車→バス停「二条城前」で下車→徒歩すぐ
●地下鉄烏丸四条駅からバスで
D乗り場(四条通南側)
・12号系統(金閣寺・立命館大学行)に乗車→バス停「二条城前」で下車→徒歩すぐ

●駐車場(乗用車)
・第1駐車場(二条城東側)
台数/120台 ※10月のみ54台
営業時間/8:15~18:00  ※イベント等の際は開城時間に合わせて営業時間を変更
料金/2時間まで1200円、以降1時間ごと300円
・第3駐車場(二条城南側)
台数/20台
営業時間/8:15~18:00 ※イベント等の際は開城時間に合わせて営業時間を変更
料金/2時間まで800円 、以降1時間ごと200円

●駐輪場
台数/バイク10台(大型用無し)、自転車83台
営業時間/8:15~18:00 ※イベント等の際は開城時間に合わせて営業時間を変更
料金/バイク:2時間まで400円、 以降1時間ごと200円
自転車:2時間まで200円 、以降1時間ごと100円

[お花見情報]
見頃/3月中旬〜4月中旬(例年)
開城時間/8:45~16:00(閉城/17:00)
※本丸御殿は保存修理工事中のため観覧休止
二の丸御殿観覧受付時間/8:45~16:10

[紅葉シーズン情報]
見頃/例年11月中旬~12月上旬
『「二条城障壁画 展示収蔵館」秋期原画公開「菊と扇~<黒書院>四の間~」』
開館期間/ 2023年10月5日(木) ~12月3日(日)
開館時間/9:00~16:30(閉館/16:45)
入館料/100円※別途入城料が必要※小学生以下無料

元離宮二条城

  • もとりきゅうにじょうじょう
  • 京都府京都市中京区二条通堀川西入ル二条城町541
  • Tel.075-841-0096
  • 休城日/12月29~31日
    二の丸御殿観覧休止日/12月26~28日、1月1~3日及び1・7・8・12月の毎週火曜日(当該日が休日の場合は二の丸御殿の観覧可能。ただし、翌日に観覧休止)
  • https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/

  • 【通常入城】
    開城時間/8:45~16:00(閉城/17:00)
    ※本丸御殿は保存修理工事中のため観覧休止
    二の丸御殿観覧受付時間/8:45~16:10
    入城料(二の丸御殿観覧料含む)/一般1300円、中高生400円、小学生300円
    展示収蔵館観覧料/100円 ※小学生未満は無料(年4回・計240日公開)
※予告なく記載されている事項が変更されることがありますので、予めご了承ください。
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