植物紋 ー 桔梗編ー

1 . 五星とも称する 「晴明桔梗」の紋を持つ[晴明神社]に話をきく

六代もの天皇に仕えた晴明公
パワー漲る見所がたくさん 

平安時代に陰陽師として活躍した安倍晴明公。没後2年の1007年、その偉業を讃えた一条天皇が晴明公の屋敷 に社殿を創建したのが晴明神社のはじまり。「当時は今よりも広く、西は黒門通り、南は中立売通りまでが敷地であったと言われています。ここ西陣といえば歴史的に変動が激しかった土地ですからね。応仁の乱、豊臣秀吉による戦や造営によって、大きさを変化させながら現在の姿になりました」と話すのは、宮司の山口琢也さん。謎に包まれた晴明公についてもお伺いすると「当時40〜50歳が寿命と言われていた中、晴明公は86歳まで生涯を全うします。民間の陰陽師もいた訳ですが、晴明公は公式の陰陽師であり代々の天皇や貴族から頼られその地位を確立していったのでしょうね。晴明公が住まわれたこの地は当時の御所の表鬼門にあたり、都の厄除けを担っていたことが窺えます」。

境内には旧一条戻り橋や陰陽師が使う精霊・式神の石像、晴明公が念力で湧出させた井戸と言われる晴明井など不思議なパワーを感じる 所が満載。「旧一条戻り橋は現状の橋に掛け替えられる以前、大正11年から実際に使われていたものです。現在でも嫁入りや葬式の際にはこの橋を渡らないのが慣わしとされ、戦時中には兵隊さんが生きて帰って来られるよう橋を渡って出兵していた歴史も残っているんですよ」。

 

人々を守ってきた晴明桔梗
境内には『紋映えスポット』も

堀川通りに面する一の鳥居にはじまり、社殿の提灯や建物の瓦など境内の至るところで見ることが出来る晴明桔梗の紋。晴明公が創った陰陽道に用いられる祈祷呪符のひとつであり五芒星とも呼ばれる。「形が花を咲かせた桔梗に似ていることから名付けられました。晴明桔梗を陰陽道の社紋として使っておられるところは他に無いと思いますが、厄除けや身を守る印としてさまざまなところに用いられているんですよ。古くは明治時代の日本陸軍の帽頂部 、大阪城のお堀の東北隅にも密かに彫られているそう。三重県伊勢相差の海女さんが につける手拭や襦袢に記されるセーマンドーマンも有名ですね」。

そんな晴明桔梗の本家本元の神社境内に、山口さんおすすめの「社紋映えスポット」があるのだそう。「二の鳥居に位置する四神門 。この門が開いているとき、北側の門に記された晴明桔梗紋が南側から差し込む陽を反射して、南中の時間帯になると綺麗に地面に紋が浮かび上がるんですよ」。晴明公の生前は式神に開閉させていたと伝わる四神門 。現在も幻想的な二つの紋を見られるのは式神の悪戯かも? 

誠の心を育む桔梗守
今こそ近くのご縁も大切に

晴明公没後千年祭の折、晴明桔梗にちなんで境内に桔梗の花を2000本植えられたとのこと。「例年6月中旬が見頃ですが、今年は少し早いでしょうね。桔梗の花言葉は『永遠の愛』や『誠実』。花を咲かせる姿は正に『誠実』という言葉がぴったりだなといつも思います。毎年楽しみに に来られる方も多く、開花の時季は『桔梗守』『ききょう土鈴』を授与しています。

最初の一輪が咲いた時から最後の一輪が散る時までの期間限定。だいたい涼しい風が吹く秋頃まで咲き続けますよ」。桔梗守のご利益は山口さんが教えてくださった花言葉通り。『誠の心を育む』。発送も行っており、移動が難しいご時世でも気軽に手に入れられる嬉しいお守りだ。

また、コロナ禍に直面し山口さんには新たな気付きがあったそう。「悪いことだけでなく、京都の人に注目してもらえる機会を与えていただいたと思っています。これまでは遠方からお越しになる参拝の方がほとんどでしたし、お正月のご祈祷の際も他府県の住所を読み上げることが多かった印象です。しかし最近は『前から来ようと思っていたけど、観光の人が行くイメージでが足が遠のいていた』と仰ってお越しになる地元の方の姿も見られて嬉しいです。『ちょっとした路地の横丁にこんな歴史があるんや』といった発見も京都に住む特権。そんな地元散策の中に晴明神社も加えてもらえたら嬉しいですね」。

宮司 山口琢也さん

紹介したのは…[晴明神社]

2 . ここでも桔梗が見頃!

☆見頃スポットその1
[谷性寺]明智家の家紋である桔梗

詳細はこちら

☆見頃スポットその2
[廬山寺]源氏物語にちなんだ桔梗

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3 . 植物紋ってなに?

家柄を表すシンボルとして用いられてきた家紋や、神紋・寺紋と呼ばれる神社や寺院固有の紋章は、平安時代に公家が自分の調度品や持ち物に目印として紋様を付けたことがはじまり。
その種類は現在240以上あり、なかでも一番多いのが花や葉をモチーフにした植物紋で、四季折々の植物に富む。