
[2023]京都・北野天満宮周辺のおすすめスポット...
室町時代に復興し、京都五山の第四位の禅寺として栄えた歴史ある寺院[東福寺]。名高い庭や通天橋の紅葉など四季折々に美しい景色が広がり、多くの人が訪れます。今回、その歴史的背景や主な建築物、日常の触れ合いなどの見どころをピックアップして紹介します。
壮大な伽藍を誇る臨済宗東福寺派の大本山で、鎌倉時代の初期、当時摂政を務めていた九條道家の発願によって建立された。建立に際しては、1236(嘉禎2)年より1255(建長7)年まで、実に19年の歳月を費やして完成した。
栄華を誇っていた最中、1319(元応元)年、1334(建武元)年、1336(延元元)年と相次ぐ火災のために大部分を焼失。しかし、最後の火災があった1336(延元元)年から4ヶ月後には復興が始まり、1346年(貞和3)年、10余年を経て再び偉観を誇った。禅宗寺院の格式を表した「京都五山」(鎌倉時代に北条氏によって導入)に、1334(建武元)年の火災の直前には列せられていたため、再建後には完全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなった。
本坊庭園・東庭
摂政九條道家は創建にあたって、奈良の最大の寺院である[東大寺]と奈良で最も盛大を極めた[興福寺]から「東」と「福」の字をもらい、[東福寺]とし壮大な伽藍を築いた。周囲には普門院や公明院など25の塔頭(たっちゅう)が建ち、その規模の大きさを物語る。塔頭とは住持、高僧などが寺院の敷地内に建立した子院のことで、東福寺では80以上の塔頭が建ち並んだ時代があったといわれている。
[東福寺]には、「伽藍面(がらんづら)」と称された中世の貴重な禅宗建築が今も残っている。「伽藍」とは寺院の僧侶が集まり修行する清浄な場所のことで、「七堂伽藍(しちどうがらん)」は寺院敷地内にある建物群のことを示すが、[東福寺]は禅宗の寺院としては最大級の七堂伽藍を誇る。その規模は、[東大寺]や[興福寺]に引けを取らない。また、多くの国宝と重要文化財を所蔵し、歴史深い芸術や文化が集積する場所でもある。
1425年(応永32)年、に室町幕府第四代将軍の足利義持が再建された「三門」(国宝)は、大仏様、禅宗様、和様の3つの異なる建築様式を用い、日本の禅寺における三門としては最も古く、最大の規模を誇る。高さ約22mあり、楼上には宝冠釈迦如来像や十六羅漢像などの諸仏が並び、天井には画僧・明兆(兆殿司)らによる極彩色の飛龍や天女などが描かれている。内部は一般公開されていないが、3月14日~3月16日の涅槃会の時期には特別公開が行われ、門に上がることができ、楼上からは京都南部を一望できる。また、京都三大涅槃図(ねはんず)のひとつといわれる「大涅槃図」も鑑賞することができる。三門の前にある思遠池は、夏の蓮を楽しめる。
三門(国宝)
「方丈」とは、禅宗寺院における僧侶の住居であり、後には相見(応接)の間の役割が強くなった。[東福寺]の「方丈」は、「法堂」と同じく1881(明治14)年の火災で焼失し、1890(明治23)年に再建。その後、1939(昭和14)年、作庭家・重森三玲の手により、広大な「方丈」の東西南北に四庭が配され、“東福寺方丈「八相の庭」”と称された。数ある禅宗の方丈のなかでも、四周に庭園を巡らせたものは、東福寺本坊庭園(方丈)のみであった。鎌倉時代の風格を基調に、現代的なアプローチで再現された禅宗庭園として高く評価され、2014(平成26)年に“国指定名勝”に登録され、「国指定名勝 東福寺本坊庭園」と名付けられた。
本坊庭園・北庭
「方丈」を中心に、東西南北に4つの庭園が作られており、釈迦の一生を表す8つの局面になぞらえ「八相の庭」とも呼ばれている。東庭には星座の「北斗七星」、南庭では古代中国の「蓬莱神仙思想」が表現され、西庭、北庭では苔と敷石で「市松模様」が表現されており、枯山水の伝統的な手法を合わせて用いられた、斬新な造りとなっている。拝観の際には、庫裏から入室できる(本坊庭園拝観料/500円)。
本坊庭園・南庭
境内の渓谷に流れる一筋の川「洗玉澗(せんぎょくかん)」に架かる、「通天橋(つうてんきょう)」、「偃月橋(えんげつきょう)」、「臥雲橋(がうんきょう)」は、「東福寺三名橋」と称される3つの橋。通天橋は、1380(天授6)年に春屋妙葩が架けたとされ、本堂と開山堂を結ぶ長さ約27mの屋根付きの木造橋。
紅葉時期の通天橋からの眺めは、“雲海のように広がる紅葉”と称されるほど、折り重なるような紅葉の様子を楽しめる
眼下の渓谷には、円爾弁円(聖一国師)が宋から持ち帰ったと伝わる「トウカエデ」という品種の楓の木々が約2000本植えられ、紅葉シーズンには京都屈指の眺望を誇る。また新緑の季節は生命力に溢れた青もみじも美しい。
洗玉澗
「本堂」は[東福寺]の主要な建物のひとつで、「法堂(はっとう)」と「仏殿」を兼ねている。創建当時、「法堂」には約15mの釈迦如来像が鎮座していたと伝わるが、1881(明治14)年の戦火で、「法堂」、「仏殿」とともに焼失した。1917(大正6)年から再建工事が行われ、1934(昭和9)年に現在の姿に再建された。総高26m、間口は41m、奥行30mの入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺きの木造建築で、九條道家による京都最大の伽藍造営となっている。
法堂
通常内部は公開されていないので、外から鑑賞すると、ご本尊様とともに「蒼龍図(雲龍図)」の天井画が垣間見れる。これは、日本画家・堂本印象の渾身の作で、17日間で描き上げたと伝わる。また、毎年3月の「涅槃会」には明兆作の大涅槃図が須弥壇上に掛けられる。
「法堂(はっとう)」の位牌(いはい)壇に約2メートルもある巨大な手が祀られている。これは、かつて[東福寺]の仏殿に安置されていた、「新大仏」とあがめられたという、高さ約15メートルの釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)の手。1881(明治14)年の大火災で堂宇が焼失した際、この左手だけが救出され、現在のように祀られることとなった。
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