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桜には水を生ずる徳があり、これによって火災の恐れがないとされ、京都を「花洛」と呼んだという……。
古より、京の人たちは桜に魅了され、語り、受け継いできた。円山公園や哲学の道、京都御苑、嵐山や清水寺など、桜の名所はどこも花見客でにぎわう。この花見、平安時代初めに嵯峨天皇(在位809~823)が神泉苑に行幸して「花宴」を催したのを、その始まりとする。その後、桜を「花の木」とし、桜こそ花の代表だという考え方が定着、花宴もまた歴代天皇によって踏襲されていく。
京都御苑
ところで、桜は愛でるだけでなく、歴史の中のさまざまなシチュエーションで演出されてきた。
ひとつの例が、北区にある千本釈迦堂の「普賢象桜」だろう。
千本釈迦堂の普賢象桜
毎年、境内ではソメイヨシノが散る頃、普賢象桜が花を咲かせる。この桜は花弁が、一枚ずつ散るのではなく、花の房ごとポトリと落ちる。その様子が首を切られる獄舎の囚人を想像させたのか、獄舎に縁があった。
千本釈迦堂の普賢象桜の散った様子
江戸時代、この普賢象桜の枝を手折って所司代(京都の市政を行うため安土桃山、江戸時代におかれた職)に献上し、代わりに米三石五斗もらうのが慣例になっていたそうだ。桜は刑死人を供養するため、獄舎に飾られたという。春先に刑死が決まった罪人は桜の花を手に持ったまま、斬首されたとの話もある。一説には、囚人たちに普賢象桜を見せて仏心を起こさせたとも聞くが。
鎌倉時代、右京区の嵯峨釈迦堂(清凉寺)では、桜の開花時期に大念仏会が催されていた。桜の風情に誘われて大勢の人たちが寺に集まり、念仏を合唱して仏に結縁したという。満開の桜の美しさは人々の心を開かせ、念仏の唱和と相まって極楽浄土を連想させて陶酔感が増していった様子は想像にかたくない。人が桜を見て癒やされ心浮き立つのは、今も昔も変わらない。
ほかにも桜にまつわるちょっと変わった言い伝えに出会えた。
西京区にある大原野神社には、「千眼桜」と呼ばれる桜がある。ぼんぼりのような花房を持つ枝垂れ桜で、遠くから見ると、たくさん眼があるように見えることから、そう呼ばれるようになった。開花時期が短く2、3日で散ってしまうため、なかなか満開時を見ることが難しく、幻の桜といわれる。運良く満開の桜に出会えたなら、千眼、つまり千の願いが叶うとのこと。一言だけ願いを叶えてくれる一言地蔵というのは聞くけれど、千の願いを叶えてくれるというのは、めったにない。ぜひ、満開時に出会ってみたいものだ。
大原野神社の千眼桜
右京区御室仁和寺の「御室桜」は、遅咲きとして親しまれてきた。特徴的なのは木の背丈が低いこと。
御室の桜
(著者所蔵 約90年前の古絵葉書)
「わたしゃお多福 おむろの桜 はなが低うても 人が好(す)く」と歌われ、お多福桜とも呼ばれる。花を鼻にかけ、昔は鼻の低い女性を御室桜とからかったりしたが、江戸時代から庶民の桜として人気があり、けして悪口というわけでもないようだ。
また、「時雨桜」と呼ばれる不思議な桜がある。右京区愛宕山麓にある月輪寺の桜は、親鸞上人お手植えと伝わり、枝葉が涙を流すという。この桜は流罪になる親鸞上人の涙だとも、上人との別れを惜しむ涙ともされ、「草木さえ情あり」として知られる。開花時期は遅めの四月中旬から五月頃だとのことで、今年は会いに行きたい。
今年は桜の開花が遅いようだが、花洛の名にふさわしく、少しでも長く咲いて、さまざまな表情を見せてほしいものだ。
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。