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2017.2.15
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天神さんの梅と牛の不思議

寒波に見舞われた2月半ばの京都。梅の開花の知らせを耳にし、梅の花と不思議を求めて、北野天満宮へお邪魔した。

同宮の祭神・菅原道真といえば、今や学問の神様として名高い。が、その一方で、京の都を震撼させた怨霊の代表格でもあった。

平安時代、道真は藤原時平の讒言(ざんげん)により九州の太宰府へ左遷され、無念のうちに亡くなった。すると、その後、都では次々に奇妙な事が起こりだした。藤原時平は不慮の死を遂げ、清涼殿に雷が落ちて死者を出し、衝撃を受けた醍醐天皇は病に伏す。平安楽土であったはずの都は水害、干ばつ、流行病、飢饉と相次いで災害に見舞われた。当時の都人は、この奇怪な出来事のすべてが道真の怨霊のなせる業だと信じ、その畏怖の念は雷神・天神信仰と結びついて、全国へと広まっていった。

さて、境内を歩いていると、目に飛び込んでくるのは「梅」と「牛」。道真はことのほか梅を愛したという。

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菅原道真が愛したといわれる梅の花

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拝殿と梅の木(昨年の撮影)

道真の京の邸に植えられていた梅が、「東風吹かばにほひ起こせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな(忘れそ)」と詠んだ主人を慕い、左遷先の太宰府へと飛んだ「飛梅伝説」は、つとに有名だ。境内の梅の木はもちろん、一の鳥居の狛犬(異形編:狛犬で紹介)の台座にも梅の木が彫られているし、あちこちに梅鉢の紋が見られる。当時の都人も、梅の香こそが道真の御霊を鎮めると考えていたようだ。

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一の鳥居・狛犬の台座

また「牛」は、道真の遺骸を乗せた車の牛が途中で動かなくなり、そこを墓所と決めたといわれ、境内の牛の像が臥牛であるのは、その説話に由来すると聞く。

ところで、至る所にある臥牛像の中で、実は一体だけ立ち姿の牛があるらしい。出会えると運気を養ってくれるというので探してみたが、なかなか見あたらない。せっかく来たのだからと拝殿で参拝し、ふと見上げると……、あ、出会えた!

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七不思議のひとつ、境内唯一の立ち牛

牛の後足は立っているが、前足は折りたたんだように見えるから、臥す途中の状態を表現しているのかもしれない。この牛は同宮の七不思議のひとつでもある。

七不思議といえば、三光門がよく知られている。本殿前の中門で、月・日・星の彫刻が施されていることから、その名がある。だが実際は、星の彫刻はないので「星欠け門」とも。平安時代、御所の帝が北野天満宮に向かって祈る際、三光門の真上に北極星が見えたといわれ、「星」は天に輝く北極星を指すのだとされている。

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七不思議のひとつ、星欠けの三光門の「月」

逆に、ほとんどの参拝者が素通りしていて、意外に知られていないと思えたのが、大黒天の灯籠だ。数ある灯籠の内、唯一、大黒天が彫られており、この大黒さんの口に小石を乗せ、落ちなかった石を財布に入れておけば一生お金に困らない、とのこと。

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七不思議のひとつ、大黒天の灯籠

ほかに興味深かった不思議をひとつ紹介したい。拝殿の前で若い参拝者たちが「わー、映った!」とはしゃいでいた。耳に入ってきた話では、拝殿上部に掲げられている鏡に自分の姿を映してから拝むと願い事が叶うというのだ。これは同宮の七不思議に加えられていないから、今後、番外編としてジワジワと浸透していくのかもしれない。

ところで、ちょうど境内の梅苑が一般公開されていた。まだ蕾が多く、花はちらほら…。今月2月25日の菅原道真の命日には、毎年、五花街の一つ上七軒の芸妓・舞妓さんたちが花を添える「梅花祭」が催される。その頃には見頃を迎えるのだろう。寒空の下、三分咲きの梅に春を感じつつ、境内を後にした。

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境内の梅と牛のコラボ(2017年2月撮影)

京都の摩訶異探訪とは

京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。

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