夏の代表・聖性の花を愛でる「京の蓮寺」

猛暑の中、清涼感を運んでくれる花が、古都の境内でちょうど見頃を迎えている。夏の花の代表のひとつ、ハスだ。

ハス

蓮は泥より出でて泥に染まらず」と言われるように仏教を象徴する花だ。

泥の中からスッと茎を伸ばし、大輪の花を咲かせる姿は、仏教が説く理想のあり方だとされ、聖性の花として尊ばれてきた。極楽浄土に咲き、人が極楽浄土に生まれ変わる時には、その花の中に生まれると考えられている。その蕾は清らかな心が芽生え始めた状態を指し、開花した花は仏の智慧や慈悲に例えられるとのこと。

 

京都市内でハスに出会える場所を探してみた。

JR花園駅すぐの法金剛院は四季折々の花が咲き、花の寺としても名高い。もとは平安時代初期の右大臣・清原夏野の山荘だった寺で、一時、荒廃していたのを鳥羽天皇の中宮・待賢門院が再興し、寺名を法金剛院と号した。

7月上旬から8月初旬にかけて、極楽浄土に見立てた浄土式庭園では約90品種のハスが参拝者を迎えてくれる。今年は7月29日まで「観蓮会」が開催され、早朝7時から15時30分まで愛でることができる。

法金剛院

法金剛院のハス

ところで、私たちが目にする仏像は蓮台に座り(立ち)、また、ヒンドゥーでは幸運と美の女神ラクシュミー(日本の仏教では吉祥天)がハスの花を両手に持ち、花の中に立つ姿で描かれる。この女神は天地創造の時、ハスの花に乗って浮かんでいたといわれる。

興味深いのは、ハスは水がきれいだと小さな花を咲かせ、泥水が濃いほど大輪の花を咲かせるという。その特性から、泥水の中で花と実をつけるハスは、仏教で迷いに染まらず悟りを開くことに例えられる。

また、ハスが咲く瞬間には、音がすると聞く。取材でハス畑を通りかかった時に、農家の方に話を伺うことができた。早朝のハス畑では、ポン、と微かな音がするそうだ。ポンと音がしたかと思うと、すぐにふわーっと花びらが開く。その音は木魚を叩くのに似ていて、心が安らぐという。

ハスの蕾

一説には、赤ちゃんが、母親の子宮から出てくる時の音に似ているとも。同時に、ハスが花開く時に発する音は、「魔」や「邪気」を払ってくれるとも聞いた。仏教では、ハスの咲く瞬間の音を聞いた者は「悟りが開ける」とか「成仏できる」といった言い伝えもある。

 

仏教と関わりが深い花だけに、他にもハスの咲く寺院は多い。例えば、妙心寺の退蔵院や大覚寺の大沢池、教王護国寺(東寺)、宇治の三室戸寺なども見所として知られている。

大覚寺・大沢池のハス

そしてハスにはもうひとつ、重要な役割があった。泥の中に伸びる地下茎の部分は、私たちが食しているレンコンになる。穴の開いたレンコンは「見通しがきく」とされ、縁起物としてお正月のおせちには欠かせない一品だ。滋養強壮、美肌、胃粘膜を保護するなど、その効能も多い。ハスは観て良し、聞いて良し、食べて良し、という万能植物だった。

ちなみに、同じ水生植物で見た目も似ているスイレンは、学術的に全く系統が違う植物だとのこと。

こちらはスイレン
(ハスは立ち葉だが、スイレンは浮き葉)

今年の京都の夏は、予報ではことのほか暑いらしい。比較的涼しい早朝、ハスの花を観に足を運び、ポンッ、という開花音に邪気を払っていただき、酷暑を乗り切りたい。

 

祇園祭中はきゅうり断ちの一ヶ月!?「京のきゅうり封じ」

京都の7月の主役といえば、祇園祭だ。八坂神社の祭礼で日本三大祭のひとつに数えられる。

祇園祭の長刀鉾

この季節、街中は祇園祭一色になるのだが、実はもうひとつ、7月の京都には、陰の主役が存在していた。

それが、夏野菜の代表「きゅうり」である。

夏野菜の代表「きゅうり」

八坂神社の御神紋が「五瓜に唐花(ごかにからはな)」で、きゅうりを輪切りにした時の断面の模様に似ているといわれる。

きゅうりの断面

「御神紋とそっくりなきゅうりを口にするなんて、恐れ多い」と、昔から氏子の人たちは祇園祭が行われる一月の間、きゅうりを食することを封じる慣わしがある。

きゅうりは夏バテに効果があるとされるが、今が旬の時期にあえてきゅうりを封じることで、疫病退散を祈願し、祇園祭が無事に終えられることを願うということは、好きなものを一定期間、断つことで願いを叶えてもらう願掛けの方法のひとつ「断ち物」と同じ理由なのだろう。五瓜の「瓜」は、きゅうりではなく、ウリだともいわれるが……。

 

ところで、きゅうりが封じられるのは、祇園祭関連だけではない。

京都では、主に土用の丑の日に厄除けの伝統行事として「きゅうり封じ」を行っている寺院がある。

きゅうり封じとは、病魔悪鬼をきゅうりに封じ込めて、無病息災を願う秘儀だ。これは約1200年前、弘法大師空海が唐より伝えた厄除けの秘法で、きゅうりに病を封じ込めて病魔退散を祈願したことに由来するといわれている。昔から夏の盛りは体力が減退し、疲れやすく、病気をしやすい時期と考えられていた。

京都では西賀茂の神光院(じんこういん)や御室の五智山蓮華寺(れんげじ)、鳴滝の三宝寺(さんぼうじ)がきゅうり封じを行っていて、参拝者たちで賑っている。参拝者たちはきゅうりと名前や病名などを用紙に記し、祈祷してもらって霊力を得たきゅうりを家に持ち帰る。そのきゅうりで体の痛い部分や悪い部分を撫でて病を移し、封じ込め、土に埋めて病気平癒を願うというものだ。

きゅうり封じはお寺によって多少の違いがあるようだ。

五智山蓮花寺ではきゅうりを持ち帰った後、3日間、朝と晩に不動明王御真言か弘法大師御宝号のどちらかを唱えながら体の悪い部分をきゅうりで撫でて治癒を願う。4日目の朝、人が踏まない場所にきゅうりを埋めるか、川に流すことで病魔を封じ込めることができるという。埋める所がない人はお寺に持って行ってもよい。

五智山蓮華寺

きゅうりを土に埋めて自然に帰すことで病気も消滅していくといわれているのだ。土の中できゅうりが腐っていくにつれて病が治っていくとか、大部分が水分でできているきゅうりで体の悪いところをさすると、その水分に悪い部分が溶け出すとも考えられていると聞く。

だが、なぜ、きゅうりを身代わりにするのだろう。

きゅうりは水分が多くて腐りやすく早く自然に帰ってくれるということと、この季節はきゅうりが豊富に収穫でき、手に入りやすいということも理由のひとつであったかもしれない。ちなみに、同じ7月に、鹿ヶ谷の安楽寺では、中風にならないように中風まじないの「かぼちゃ供養」なども行われている。

身近な「食」に縁起をかつぎ、願いを託す風習は、先人たちの知恵と日本ならではの食文化のようで興味深い。

 

深草エリア最強のパワースポット「大岩神社」

京都というのは、日常の風景の中に「謂われ」や「いわく」のある場所が顔をのぞかせているから一層興味が増す。立ち寄った場所が後から調べてみて、実は強力なパワースポットだったり、因縁つきのアブナイところだった……という経験が時々ある。

その日、あまり下調べもせず、伏見区深草にある大岩神社(おおいわじんじゃ)を訪ねた。昔は、山中の大岩を御祭神とし、疫病封じにご利益があった神社頂上の展望所からの眺めがすばらしい、と聞いていた。

JR奈良線「藤森駅」で下車、旧道を歩いて大岩街道へ進み、目的の大岩神社参拝道へ足を踏み入れた。

大岩神社への参道入り口の鳥居

朱塗りの鳥居をくぐり、かなり荒れた竹藪の横の参道を歩いていった。

竹の参道

途中にマムシに注意の看板が立っていて、その横の薄暗くそれほど大きくない池があった。近づいてみると、一匹だけ鯉が寄って来た。昨日までの雨のせいで、ぬかるんだ足元に気をつけながら、鬱蒼とした細い参道をさらに上っていく。

右手奥に見えるのが池

 

と、唐突に不思議な鳥居が目の前に現れた。

一瞬、息をのむ。

樹木のなかに立つ鳥居は、一般的な鳥居とあまりに違っていて、一種、異様な雰囲気さえ感じられた。石造の鳥居の中央には「大岩大神」「小岩大神」と刻まれ、女神や武人、ウサギや鳥が配されており、石柱にはアラベスク模様を思わせるデザインと地蔵が刻まれている。アーチ状のオブジェという感じだ。

実はこの鳥居、京都出身の日本画家・堂本印象がデザインし、縁のあった大岩神社に寄進したものだという。

堂本印象デザインの鳥居

堂本印象のデザインと聞いて、少しホッとしながら鳥居をくぐる。

周囲は倒木や荒れた鳥居が幾つもあり、傾いた社の向こうに山腹から顔を出す、黒ずんだ大岩が見えた。狭い参道は樹木が迫り、その日は一人のハイカーにさえ出会わなかった。しかも、参道へ足を踏み入れてからずっと、気持ちがざわざわして落ち着かない。経験上、こういう気持ちの時はさらっと通り過ぎてしまった方がいい。昨日までの雨とは打って変わって、上空は気持ちよいくらい晴れていたが、早くこの参道を抜けたい気分で、自然に速足になっていた。

大岩神社参道

 

後日、大岩神社について調べてみた。

大岩・小岩を御神体の男神・女神とする古代の神祀りの名残のある神社だという。この男女の神には、お互いの病気を献身的に看病し、治癒にいたったという伝承がある。「難病の神様」として信仰され、特に結核の治癒に霊験があるといわれた。昔は、結核は不治の病だとされ、多くの患者が祈願に訪れたそうだ。

また、この神様は難病だけでなく、心の病にも御利益があるとのこと。だが、怪談話に詳しいライター仲間から、「途中にあった池では昔、夜、赤い玉が飛び交うのを見た人がいるらしい」との情報が!

ハイキングと堂本印象と難病の神様と怪談話。ひとつの場所でさまざまな顔に出会うことができるというのは、やはり京都という街の醍醐味という気がする。

ところで、大岩神社の参道を登り切ると、とたんに明るく、グッと視界がひろがった。大岩山展望所に到着した。整備が行き届き、座って休憩できるビュースポットになっている。

晴れた日には、大阪のビル群まで望めるようだが、この日は少しかすんでいてビル群までは確認できなかった。それでも伏見城や男山など、京都南部の景色が眼下に広がって、足の疲れも、恐怖心も、いっきに吹き飛ばしてくれた。

大岩展望所からの眺望
(中央に伏見城が見える)

「恋の寺」六角堂と京のヘソ石

西国三十三所第十八番札所として知られる六角堂。正式名称は頂法寺だが、本堂を真上から見ると屋根が六角形をしているため、京都では「六角さん」とか「六角堂」と親しみを込めて呼ばれる聖徳太子の創建と伝わり、いけばなの池坊発祥の地としても名高い。

六角堂(頂法寺)

西国三十三所。
観音霊場の第十八番札所として知られる

 

この六角堂に恋の伝説があった。

平安時代初期のこと。妃を探していた嵯峨天皇はある夜、不思議な夢を見た。如意輪観音が現れ、「六角堂の柳の下を見てみなさい」と告げた。さっそく帝が六角堂に人を遣わすと、境内の柳の下にこの世の人とは思えないほど美しく、良い匂いのする女性が立っていた。この時代は良い香りがする女性が、美人の条件の一つだった。天皇はその女性を妃に迎え、寵愛したという。

その伝説から、「六角堂の柳に願をかけると良縁に恵まれる」とか「恋が成就する」といった噂が広まり、縁結びや恋が叶う場所として信仰されるようになった。本堂前の柳の枝におみくじが結んであるのをよく見かける。2本の柳の枝をひとつにし、おみくじを結んでおくと縁結びの御利益があるようだ。

六角堂境内の縁結び伝説ゆかりの柳

 

もう一つ、本堂前には、中心に丸く穴のあいた六角形の石がある。「へそ石」と呼ばれているが、京の町の中心にあるから、その名が付いたようだ。

六角堂境内にある「へそ石」

もとは寺の門前の六角通にあったもので、明治初期に境内へと移された。この石は、平安京造営の際、本堂の位置に道を通すことになり、桓武天皇が困って「少し動いてください」と人をやって本堂に祈ったところ、一夜にして本堂が約15m北、現在の場所へ移動したそうだ。あとには礎石がひとつ残されたという。それが今に伝わるへそ石で、「本堂古跡の石」とも呼ぶ。江戸時代の『都名所図会』には、へそ石が境内ではなく、寺の門前にあるのが見てとれる。

『都名所図会』6巻より。
六角堂の門前に「へそ石」がある
(国会図書館デジタルコレクション所蔵)

 

このへそ石は、本土の礎石だといわれる以外に、もう一つエピソードがある。実は、水時計の礎石だというのだ。

昔、京の町は鴨川の氾濫によって、たびたび水害に見舞われた。このへそ石の中心には棒が立てられていて、その棒のどの辺りまで水位が上がったら逃げる、という避難指示の目安だったという。そしてこの寺の鐘楼の鐘が鳴らされ、人々は避難した。

六角堂の鐘楼の鐘

 

江戸時代、六角堂は下京の町堂であり、人々に時刻を告げるため、決まった時刻に「時の鐘」が撞かれ、現代の時計の役割を果たしていたが、ひとたび火事や洪水などの災害や戦乱が起こると鐘を撞いて知らせる警報の役目も果たし、京の人々にとって、なくてはならないものだった。

ちょうど6月10日は「時の記念日」だ。671年、日本で初めて天智天皇が漏刻(ろうこく)を造り、太鼓や鐘を打って時刻を民に知らせた日だと『日本書紀』に記される。漏刻とは唐(中国)から伝わった水時計のこと。紀元前からエジプトでは使われていたという。

時計のなかった時代、京の町に時刻や災害を知らせたとされる六角堂の鐘は今、オートメーションになっていると聞いた。時代の変遷を感じさせる「時の鐘」。スマホを覗けば時間を知ることのできる現代、その役目は終えてしまったように見える。だが、あの原爆投下時刻や終戦記念日、年末の除夜などには人の手によって六角堂の鐘が撞かれ、京都の街に、人の心に、深くその音色を響かせ続けている。

悲運の皇子伝説と悪疫を封じた、夜泣き峠

内と外、この世とあの世、自村と他村などには、その境とみなされるものがある。川、橋、井戸、坂、そして「峠」もその一つに数えられる。

"峠"という表記は日本独自のもので、平安時代頃から使われてきたとされる。「たむけ(手向け)」が「たうけ」、「とうげ」へと変化したものだといい、山の頂にいると信じられてきた道の神に旅の安産を祈願し物を供えた(手向けた)ことから、「峠」になったようだ。峠は山の上と下の頂上のことで、その峠のこちらと向こうは別の世界というわけだ。

三方を山に囲まれている京都には、幾つもの峠がある。特に、北山は峠の宝庫だ。その中で、鞍馬街道の二ノ瀬から雲ヶ畑街道の大岩に至るルートの頂に、「夜泣き峠」という不思議な名前が付く峠がある。

二ノ瀬駅

夜泣き峠を示す標識

夜、峠を通るとどこからともなく、啜り泣く声が聞こえてくる…といった怪談話が残っているのかと思ったが、そうではなかった。

平安時代の初期、文徳天皇の皇子であった惟喬(これたか)親王の伝説に由来するようだ。

惟喬親王は第一皇子ながら、時の権力者の娘の産んだ腹違いの弟が天皇になったことで、洛北の里山を転々とし、生活することになった悲運の皇子だ。その惟喬親王が幼い頃にこの峠を通った時、ここで夜泣きをされた。傍にいた乳母が峠の地蔵に願をかけ、そこに生えていた松の木の樹皮をとって親王の枕の下に入れると、ぴたりと泣きやまれたという。

この伝説にあやかって、今でも赤ん坊の夜泣き封じには、この峠の松の皮を剝いて寝床の下に敷いておくと効果があると、昔は松の皮を剥いで帰る人もいたという。ちなみに、松の樹皮ではなく杉の樹皮だったとの説もあるようだ。

そういえば京都では赤ん坊の夜泣きに困っていると聞くと、「松の木の樹皮を枕の下に入れるか、松葉を入れたらええのや。夜泣きがやむ」と年配の方が教えてくれるのは、この伝説に由来しているのだろう。言い伝えでは、親王は二ノ瀬に一ヶ月ほど滞留したとされる。またこの土地の名は親王が雲ヶ畑の一ノ瀬に住み、次に移った場所だったので二ノ瀬と呼んだともいわれる。

雲ヶ畑にある惟喬神社

夜泣き峠を歩いてみると、急勾配の坂が続くが歩きやすい道で、昔の峠の面影を今に残している。だが、狭い谷の上で、雑木林の中にあり、昼なお暗い。眺望も樹木に遮られて、ほとんど見られない。幼い子が不安に駆られて泣き出したとしても不思議ではない雰囲気だった。

夜泣き峠へ向かう道

夜泣き峠に祀られた地蔵としめ縄

夜泣き峠からの峠道(杉林)

惟喬親王伝説の残るこの峠は、古くから里人たちの生活道として活躍してきたが、もう一つ、峠は村の境であり、村の中に悪疫や邪鬼、魔物が入ってくるのを防いでくれると信じられていた。村の外は異世界であり、峠は村の結界でもあったからだ。もちろん、峠の反対側の住人にとっても同じで、自分の里に悪疫が入って来ないように守ってくれる境として大切な峠であった。

今、車道や電車が通り、生活道としても、村の境界としても峠道の役割はほとんど失せてしまった。峠で旅の安全を祈願し、物を手向ける人が少なくなっても、峠は変わらず、ひっそりと人の営みを守り続けているに違いない。

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京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。

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