京の節分と達磨

春夏秋冬の季節を分ける、という意味を持つ節分。今年の立春は2月4日だから、前日の3日が冬と春の変わり目の節分にあたる。

昔から立春の節分は春が始まる、つまり1年の始まりとして大切に考えられ、その大晦日に旧年中の厄を払う追儺(ついな)が行われてきた。追儺は鬼を払う行事で、京都では多くの寺社で節分祭が行われ、この時期の風物詩となっている。そんな中で、この日ばかりは「達磨」が主役となる寺院がある。

円町駅からほど近い、臨済宗妙心寺派の法輪寺だ。境内の達磨堂には、約8,000の達磨が祀られており、京都の人たちは法輪寺のことを「だるま寺」と親しみを込めて呼ぶ。毎年、節分が迫ると、下立売通や紙屋川にかかる橋には赤や白の幟(のぼり)が立ち、提灯が吊られて、普段は静かな通りがいっぺんに賑やかな雰囲気に包まれる。そして寺の門の脇では巨大な達磨が参拝者を迎えてくれ、境内に入ればもう、そこは達磨づくし……。

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下立売通の幟と提灯

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節分の達磨寺

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達磨寺の門脇で参拝者を迎えてくれる

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金天と呼ばれるタイプの小さな達磨たち

達磨のモデルとなったのは、約1500年前の実在の人物だ。禅の開祖として知られる達磨大師で、9年間壁に向かって座禅しつづけ悟りを開いた「面壁九年」の故事で知られる。その達磨大師の修行する姿や不撓不屈の精神が、後にご利益をもとめて縁起物として定着していったのだろう。

今では選挙の時に片方だけ入っていない黒目を書き入れるのがお馴染みだ。目を入れる時は、まず願掛けをして左目(向かって右)を入れ、成就した際に右目(向かって左に)入れるのが良いと聞く。陰陽道で左が陽、右が陰とされることに由来するようだ。

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目入りと目を入れるタイプの達磨たち

達磨といえばその形とともに、赤い色が印象的だ。一説には達磨が赤いのは、中国で最も徳の高い僧が身に着けるのが赤い法衣とされ、達磨大師もそれを着ていたとからだという。また、古来より赤は魔除けの色であり、疱瘡(ほうそう)除けの色でもあった。昔は人工で赤を作り出せなかったため、特別な力を秘めた色だとされてきたことも、理由の一つだろう。

達磨の発祥だが、室町時代に中国の「明」と室町幕府との貿易によって輸入された不倒翁(ふとうおう)がそのはじまりだとされる。京都の富裕層の贅沢品だった不倒翁が、起き上がり小法師として庶民の間へと広まり、東や西へと伝わっていったようだ。それが江戸時代中頃になってさらに変化し、「達磨」が誕生したと考えられている。京都では長く、子どもたちの玩具として起き上がりこぼしが長く愛されてきた。京都より東の地域では達磨として発展し、西では起き上がりこぼしの形が今に根強く残っていると聞く。

ところで、節分と言えば「豆まき」だが、豆をまくという行為は、魔(ま)を滅(め)っするという意味から来ているという。

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節分の豆

この冬の京都は、ことさら寒い。達磨づくしの法輪寺で、達磨のパワーをいただきながら、住職のだるま説法を聞き、立春を迎えるのも京の節分の過ごし方のひとつ。豆をまいて魔を滅し、この時期に境内で販売される縁起物の「だるま焼」を食べて、気分だけでも一足先に春を迎えたい。

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節分に達磨寺境内で売られている「だるま焼」

京都の招き猫

江戸時代末から千客万来、金運招福にご利益があるとして、暮らしの中に息づいてきた縁起物の「招き猫」

右手をあげているもの、左手をあげているもの、身体の色が白や黒かで、ご利益の内容が違う。一般によく言われるのは、猫が右手で招いているのが「お金」で、左手で招いているのは「お客」とのこと。そして白猫は商売繁盛、黒猫は病除け、ということらしい。

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お店のなかで見つけた白の招き猫

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右手をあげる黒い招き猫

最近では白、黒以外にさまざまな色の招き猫が登場している。金色は金運や開運、赤色は魔除け、青色は交通安全、ピンク色は良縁や恋愛にご利益があるという。地域によっても色や手の左右でご利益が違っている。

例えば京都では、黒猫は商売繁盛にご利益があり、右手をあげて招いているのは昼の商売、左手で招いているのは夜の商売にご利益ありだそうだ。また、黒い招き猫といえば、左京区川端通三条にある檀王法林寺の招き猫がよく知られている。「だんのうさん」と親しまれるこの寺の黒い招き猫は主夜神尊の御使いとされ、江戸時代から京の人々の信仰を集めてきた。その主夜神は、主夜が守夜に転じて夜を守る神として火災除け・盗難除けとして尊ばれ、夜目にも目を配ってくれるという神様だ。

古来より、夜行性で暗闇にも光る目を持つ猫は魔力があるとか、魔除けになると言われてきた。特に、夜の闇のような毛並みを持つ黒猫の神秘性が、夜を守る主夜神と結びついていったとしても不思議ではない。

寺社関連では、この檀王法林寺の招き猫が最も古いと伝わる。信仰の厚いこの招き猫が右手をあげているため、当時の京都では、右手をあげる招き猫は作るのが禁じられ、左手をあげているものしか作られなかった。右手をあげた姿が登場したのは、近代になってからだと聞く。

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左手をあげる黒い招き猫
(江戸時代後期の作成と思われる)

ところで、猫がなぜ福の神になったのだろう。中国の故事に「猫洗面過耳、則客至」という一説がある。猫が顔を洗って、その手が耳より上がると客が来るという意味らしい。猫が顔を洗う動作は「おいで、おいで」と言っているようにも見えるので、見た通りの発想かもしれない。ただし、日本では猫が顔を洗うと雨が降るともいう。

招き猫は日本発祥だといわれ、人気を博したが、今では中国や香港、台湾などでもさまざまな招き猫が作られ、日本以上に大衆文化に溶け込んでいるようだ。なかでも金色に人気が集まっているようだ。お国柄の違いだろうか。

猫は日本の十二支の中に数えられていないが、招き猫に見るように、民間信仰の中には猫信仰がしっかりと根付き、時代が変わっても愛され続けている。

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梅宮大社で出会った左手で招く白猫
(よく見ると後ろ足だった…)

魔除け、安産・子育ての縁起物「戌(犬)」

2018年の干支は戌(犬)。人にとって犬は干支の動物のなかで最も身近な存在といっても過言ではない。だが、ここ最近の猫ブームの陰にすっかり隠れ、影が薄いように思える。

犬をペットとして飼うのは、縄文時代からすでにはじまっていたようだ。縄文遺跡からは日本犬とみられる犬の骨が発掘されているという。また、平安時代の文学『枕草子』にも「翁丸」という名の犬が登場する。帝の愛猫と比べて、随分ひどい扱いを受けてはいるが……。

ビジュアルとしてわかりやすいのは、鎌倉時代の『春日権現験記絵巻』だ。その中には、首輪をつけてもらった犬などが描かれていて、可愛がられていたことが想像できる。

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春日権現験記. 第13軸
(国会デジタルコレクション所蔵より転載)

その犬だが、ペットや猟犬として親しまれてきたほかに、縁起物としての役割を担ってきた。犬は多産で、仔犬はよく育つことから、昔から安産や子どもの成長祈願のお守りとして尊ばれた。「戌の日に腹帯をまくとよい」とか、生まれた子どもに犬張り子を贈ったりする。江戸時代には結婚をすると、犬張り子の雄を妻の実家へ、雌を夫の実家へ届ける習慣があったとも聞く。地方によっては「犬のフンを寝床の下に入れておくと安産だ」「妊婦が犬を可愛がるとお産が軽い」といった言い伝えもある。

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巨泉おもちや絵集. 第13集 宮詣ノ犬張子
(国会デジタルコレクション所蔵より転載)

また、別の地方に伝わる不思議な話では、生前に飼い犬を大切にしておくと、主人が死んでしまった時、犬がおぶって三途の川を渡り、冥途での苦行も代わってくれるという。犬は冥途でも忠犬ということか。 そして犬は邪を防ぎ、正を守るといわれる。「遠吠えが魔を払う」「犬の居る家には悪いものが入って来ない」など、子どもの頃に近所のお年寄りから聞いたことがある。その時は、へえーと思っただけで、その理由を尋ねなかったのが残念だ。

そもそも古来より、魔除けとして活躍しているのが、神社の入り口に鎮座する阿吽の「狛犬」だろう。原型は獅子だとされるが、日本人にとっては、やはり「犬」のイメージが強い。

以前、狛犬にまつわる話で京都市内の狛犬を幾つか紹介したので、今回は先日、訪れた天橋立にある籠神社の狛犬のエピソードを取りあげてみたい。

社頭に鎮座する二基は、魔除けの狛犬として知られ、鎌倉時代の石造狛犬としては日本一の名作だとも伝わる。ところが、あまりに作り手の魂が込もっていたせいで時折、神社の境内を抜け出し、天橋立の松並木に現れては、人を驚かせた。その噂を耳にした戦国時代の豪傑・岩見重太郎が松並木で待ち伏せをし、狛犬が現れたところを刀で斬りつけた。脚を斬られた狛犬はそれ以後、出歩かなくなったという。二基の狛犬をよく見てみると、伝説通り、脚に斬られた傷跡が残っていた。出歩いて人を驚かせただけで脚を斬られて、少し気の毒な気もする。

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阿の右足、白い部分が斬られた跡といわれている

さて、安産・子育ての守り神として、魔除けとして、ペットとしても活躍してきた犬。現代ではまた違った形で人に貢献している。救助犬や警察犬、盲導犬など、活躍の場は幅広い。近頃では、人の何万倍から1億倍ともいう嗅覚を活かして「がん探知犬」として活躍しはじめているそうだ。マスコミでも取り上げられて一般に知られるようになったが、犬が尿を嗅ぎ分け、癌かどうかを判断する。その的中率は100%に近いとのこと!

長きに渡り、人と密接に生き、人を助けて来た犬。戌年の今年、再び犬ブームの到来となるのでは!

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市内で出会った秋田犬

 

煩悩と鬼門封じの「除夜の鐘」

今年もあとわずかで一年が終わろうとしている。12月31日の大晦日、新年を迎えるのに欠かせない風物詩がある。除夜の鐘だ。あちこちの寺院では鐘が撞かれる。その音色は、しん、と静まった古都の夜をふるわせる。

なかでも有名なのが、東山区にある浄土宗総本山知恩院の除夜の鐘だ。テレビ中継を通して鐘の音を聞いた人も多いだろう。知恩院の鐘は、同じ東山区にある方広寺、そして奈良の東大寺と並んで日本三大名鐘のひとつに数えられる。高さ3.3メートル、直径2.2メートル、重さは約70トン。最近、訪ねた方広寺の鐘もかなりの大きさだったが、知恩院の鐘も負けてはいない。

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知恩院

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除夜の鐘で知られる、知恩院の鐘

大晦日には、僧の一人が親綱を持って仰向けにぶら下がるようにして撞く。16人の僧が子綱を握って「えーい、ひとつ」などの掛け声で一打、一打、撞いていく。その間、僧侶たちの念仏礼拝の声がこだまし、境内は清浄で荘厳な雰囲気に包まれる。

「除夜」とは、旧年を除く夜、つまりは古い年を除き去り、新しい年を迎えるという意味らしい。人には108の煩悩があるとされ、その煩悩を払い除けるため、大晦日の夜には108回の鐘をついて、災いを拭い、福を招く。

108というのは、人間の過去・現在・未来に渡り持っている煩悩の数だといわれているが、諸説あるようだ。その煩悩を払ってくれる除夜の鐘、もとは鬼門封じの意味があったという。鬼門とは、北東の方角を指す。鬼門=丑寅とも言うが、一年のうち12月は丑、1月は寅にあたり、この丑寅の鬼門に、鬼が侵入するのを防ぐために、鐘を突いたといわれる。昔から笛や鉦や太鼓など、音の出るものは鬼や魔を払うと信じられてきた。鐘もまた、同じ要素を含んでいると思われる。

さて、この除夜の鐘で知られる知恩院には、七不思議伝説が残る。国宝の御影堂には、その一つに数えられる「忘れ傘」がある。江戸時代の名工・左甚五郎が魔除けのために置いていったという説や、白狐が霊巌上人に棲み家を頼み、その代わりに寺を守護する傘を置いていったとも伝わる。雨の日にさす傘は、火災除けだとされる。この御影堂には他にも河童や蝉、亀など「水」をイメージさせる落とし金が施されているが、ちょうど今、御影堂は大修理中でこれらを見ることができない。竣工予定の2019年が待たれるところだ。

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大修理中の御影堂

ただし、七不思議の一つ「瓜生石」は黒門手前の路上の一角にあり、見ることができる。誰も植えた覚えがないのに瓜のつるが伸び、花が咲いて瓜が成ったとか、八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨した後、再びこの石に現れ、一夜のうちに瓜が生え実ったとか。この石は隕石という説もある。

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知恩院の七不思議のひとつ、瓜生石

ところで最近、除夜の鐘について、少し残念な話を耳にした。全国的に、除夜の鐘の音に対して、近隣の住民から「うるさい!」という声があるというのだ。

毎年、除夜の鐘の音を聞くと、過ぎ去ってしまう一年へ名残惜しいような、なんともせつない気持ちを抱きつつ、新しく迎える年への期待が交じり合い、神妙な心持になる。最近は心に染みる鐘の音を雑音としか思えない人がいるのだな、と正直、驚いてしまった。まあ、年越しの思いは人それぞれ、ということか。こちらは、日本の風物詩を堪能しながら、心のゆとりを持って新しい年を迎えたい、と思う。

 

柚子実る、京の隠れ里

久しぶりに、水尾の里を訪ねた。

水尾へはJR京都駅から山陰嵯峨野線に乗って嵯峨嵐山駅の次、無人駅の保津峡で下車する。観光客でにぎわう嵐山とは愛宕山を挟んで反対側になるが、雰囲気はがらりと変わる。線路の高架下を保津川の渓流が豊かに流れ、山里の風情たっぷりだ。

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JR山陰嵯峨野線と保津川

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水尾へようこその看板

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保津峡駅と水尾の里を示す標識

秋冬にこの里を歩くと、あちこちの柚子畑で鮮やかに色づいた柚子がたわわに実っているのを目にすることができる。

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柚子の木と実

秋から春にかけて、里の民家では柚子湯と鶏鍋で訪れる人をもてなしてくれる。

昔から、冬至には柚子風呂に入る風習がある。冬至は、一年で最も夜が長い日だ。電灯などのなかった時代、暗闇を怖れた古人は冬至を死が一番近い日と忌み、さまざまな厄除けの知恵を絞ってきた。今でも受け継がれているひとつが、柚子風呂に入って無病息災を祈る風習だ。昔から強い香りは邪気を払うと言われてきた。柚子は柑橘系の中でもひときわ強い香りを放つことから、食用としてだけでなく、霊力を持つ植物として厄除け・魔除けとしても活用された。

冬至に柚子風呂に入るのは、湯治(とうじ)とかけ、柚子は融通が利くに通じるという。柚子の実を浮かべた湯に浸かると風邪をひかず、また腰痛やリュウマチ、冷え症などにも効果があるという。柚子には血行を促進する成分や豊富なビタミンC、それに果皮には肌を滑らかにするビタミンEが多く含まれているというから、身体に良い効果をもたらしてくれるだろうし、柚子の爽やかな香りは気持ちまでリラックスさせてくれる。

その柚子が、日本の文献上はじめて登場するのは、『続日本紀』だとされる。中国大陸や朝鮮半島からやって来たようだが、今では日本と韓国の一部でしか生産されていないと聞いた。その柚子の産地としてよく知られている場所が、京の隠れ里と呼ばれる"水尾"だ。

水尾は、昔から「みずのお(水ノ尾、水雄)」とも呼ばれ、きれいな水が湧く所として知られていた。伏流水と寒冷な気候が香りの高い柚子を育み、江戸時代にはすでに「水尾の柚子」として都で珍重されていたと聞く。さらに時代を遡ると、この里の柚子をこよなく愛し、水尾帝(みずのおのみかど)とも称された天皇がいた。清和源氏の祖・清和天皇(850~880年)だ。水尾は清和天皇の出家後の隠棲地であり、御陵もここにある。

mizunoo05清和天皇社

里を歩いていて出会った古老の方から、この土地に伝わる興味深いお話を伺った。清和天皇の御陵にはお宝が埋められて、金の鳥が一緒に埋葬されていると言われているという。天皇などが崩御すると、御陵には金の鶴や亀が埋葬されるという話を聞いたことがある。里の情緒を楽しみながら、埋められているという金の鵜の姿や水尾で過ごした清和天皇に思いをはせながら、柚子香る里を後にした。

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水尾の里と手前は柚子畑

後で文献を調べたが、金の鵜に関する記述は見つけられなかった。だが、国際日本文化研究センターの怪異・妖怪データベースで、水尾の里の言い伝えを裏付けるものがヒットした。御陵の下には「金の鵜(キンノウ)」が埋まっているとある。ただ、それを掘り起こすと罰が当たると書かれてあった。お宝伝説にはそういった話は付き物だとはいえ、あまり詮索しない方がよさそうだ。

この秋、個人的に立て続けに災難が降りかかってしまった。冬至には頂戴した柚子を使って柚子風呂に浸かり、一年の疲れを癒しつつ、無病息災を祈って厄払いをしたいと思う。

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柚子風呂のイメージ (フリー素材)

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京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。

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