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2018.8.1
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小さくても大きな霊力、京の「鍾馗さん」

祇園祭の後祭で南観音山に立ち寄った帰りだった。軒の提灯に何気なく目をやった。


南観音山と町並み

あっ、鍾馗(しょうき)さんや!
一階の屋根に、ちょこんと魔除けの縁起物が乗っている。なんとなく久しぶりに出会った気がした。


鉾町界隈で見つけた鍾馗さん

鍾馗さんは、2〜30cmくらいの高さの瓦でつくられた人形だ。いかつい表情で太刀を持ち、たいていは藍袍(くるちょう)を着て、カッと両目を剝いて正面を睨んだ姿で表現される。体は小さくても雨の日も風の日も、連日連夜、一日も欠かさずその家へ侵入しようとする悪鬼たちを退散させてくれる頼れる存在だ。

鍾馗さんの由来は中国で、唐の時代に遡る。実在の人物だという鍾馗さんは、病の床に伏す玄宗(げんそう)皇帝の夢に登場し、楊貴妃の宝を盗もうとした鬼を退治した。以来、玄宗皇帝は鍾馗さんの姿を描かせて、邪気を払ってくれると広めたと伝えられる。その故事から、鍾馗さんは疫病や魔を払ってくれると信じられるようになった。日本では疫病や魔を払うだけでなく、火災除けとしての役割も担っているとのこと。

実は鍾馗さんは、高祖の時代に科挙の試験に失敗し、それを恥じて自ら命を絶ってしまったと言われる。あまりに容貌が魁偉だ、というのが不合格の理由だったらしい。だが、その魁偉な容貌こそが、後生、魔を払うお守りとしての存在感を多いに発揮することになった。


鉾町界隈で見つけた鍾馗さん

 

ところで、なぜ鍾馗さんは屋根の上に立っているのだろうか?

文化文政期の文献のなかに、次のようなエピソードが残っている。三条の薬屋が屋根に大きな鬼瓦を取り付けたところ、向かいの家の女房がそれを見て寝込んでしまった。取り外してくれと頼んだが断られ、対抗策として、鬼に勝つ鍾馗さんを瓦屋に作らせて屋根に乗せたところ、女房の病気が全快した。これが庶民の間で広まっていったそうだ。

それからもうひとつ、京の街にはお寺が多い。お寺はその霊力や魔除けの鬼瓦で悪鬼などを跳ね返してしまうので、はね返された鬼が一般の家に入って来てしまう。そこで、コワモテの鍾馗さんを屋根に乗せ、鬼から守っていただこうと、京の街では家の屋根に乗せるのが流行っていったのだ、とも聞いた。

一昔前までは京都の大路小路を歩いていると、当たり前に目にする縁起物だった。それが今、探し歩いてみると、意外に出会えない。改めて時代の変遷を感じた。

今回、南観音山から少し北上した辺りで見つけた鍾馗さんとは別の日に、妙心寺界隈で見つけた鍾馗さんを撮影した。よく見ると、大きさも顔も表情も微妙に違っている。たいていは屋根の上で正面を向いているが、鬼門(北東角)に立っているものもあった。


右京区の臨済宗妙心寺


妙心寺の鬼瓦(棟鬼飾り)


妙心寺通り


妙心寺界隈で見つけた屋根の上の鍾馗さん。
鬼から守っていただこうと、京の街では家の屋根に乗せるのが流行っていたとか

撮影していた家の方に、面白い話を聞くことができた。鍾馗さんを屋根に上げる時は、誰にも見られないように注意しなければならない。見られると、その効力がなくなってしまうという。また、向かいの家の屋根にも鍾馗さんが立っている時は、互いの視線が合わないよう、少し身体を斜めにするなど、気を配るのだとか。


斜め横を向く鍾馗さん(妙心寺界隈)

殊に、この夏は災害が多い。地震、豪雨、猛暑、台風……。こんな夏だからこそ、鍾馗さんの効力で邪気を払い、京の街を守っていただきたい。


左京区静原の民家で見つけた。これも鍾馗さん!?馬頭観音?

京都の摩訶異探訪とは

京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。

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