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2017.9.1
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羅生門に棲まう、異界のモノ

平安時代、夜な夜な鬼が出て人を食らう、と人びとから恐れられた場所があった。 その奇怪な伝説の場所に再会したくて、京都市南区唐橋羅城門町にある児童公園を訪ねた。公園の一角に柵で囲われた石碑がある。その石碑には「羅城門遺址」と刻まれていた。

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羅城門址の石碑

ここが平安京建都の折、都の表玄関の役目を担って建てられた「羅城門」があった場所だ。また、平安京のメインストリートだった朱雀大路の最南端に位置し、目の前を東西に延びる九条大路(現・九条通)を境界として平安京の内と外を分かつ門でもあった。当時の都人たちは、この羅城門から一歩足を踏み出せば、そこは異界という認識があったとも聞いている。

そういう役目を担った門であったから、大きさも姿も立派だった。門の幅は約35m、奥行き約9m、高さ約21m。木部は朱塗りで、壁は白土塗り。重層の入母屋造で瓦屋根に鴟尾がのせられていた。楼上には、王城鎮護の象徴として兜跋毘沙門天像が安置されていたという。

ところがこの羅城門、都の表門の役目を担っていたにしては、その活躍時期は約180年間と意外に短命だった。構造上に欠陥があったようで、弘仁7(816)年に大風によって倒壊、再建はされたものの、天元3(980)年に再び、暴風雨で倒壊してしまう。その24年後に再建計画が持ち上がったようだが、結局「憚るところがある」という奇怪な理由で再建されることはなく、その後は荒れるがまま、いつしか狐狸妖怪や盗人の棲み処となったようだ。

そういう過酷な運命を背負ってしまった羅城門には、いくつか奇怪な話が今に伝わっている。そのひとつが大江山の鬼退治で名を馳せた源頼光四天王のひとちであった渡辺綱の「羅生門の鬼女退治」だった。羅城門で渡辺綱に腕を切り落とされた鬼が、綱の乳母に化けてその腕を取り返しに来るが、渡辺綱が見事にその鬼女の首を取って退治したという。 それとは逆に、羅城門には風流を好む鬼も棲みついていたようで、夜更けに、ある者が漢詩を口ずさみながら羅城門をくぐったところ、楼上より「ああ」と感嘆する鬼の声がした、と今に言い伝えられている。

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羅城門渡辺綱鬼腕斬之図
(国会デジタルコレクションより転載)

また、この羅城門の奇怪な話は『今昔物語集』巻第29第18にも登場する。ある盗人が、門の上で死人の髪を盗んでいる老婆を見つけ、その老婆の衣を奪って去るというもので、芥川龍之介の名作『羅生門』は、その逸話をモチーフにして創作された。作品中にキリギリスが啼いている様子が描かれているから、季節は夏の終わりから秋のはじめだろうか。荒れ果てた羅城門の楼上には、死体が折り重なって放置されていたとも聞くから、さぞ無気味だったろう。

ところで羅城門は約1000年前に失われたものの、かつて楼上から憤怒の形相で都に邪鬼が入らぬように見守っていた兜跋毘沙門天像は、その後、東寺(教王護国寺)の金堂に移されたと伝わっている。今では財宝と福徳の神として信仰を集めているようだ。

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東寺五重塔

また、2016年11月21日、京都駅北口広場に、かつての羅城門の10分の1の大きさの模型が展示され、その英姿が蘇った。この模型は、1994年の平安遷都1200年記念に宮大工組合により制作されたもので、メルパルク京都の地下に置かれていたが、京都の玄関口のモニュメントとしてふさわしいとして、北口広場へ移設された。夜はライトアップされて、幻想的だ。

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羅城門模型(京都駅前)

ただ、しばらく観察していると、立ち止まって関心を向ける人は案外、少ない。忙しい現代人の心には、かつて平安京の人びとを震え上がらせた鬼でさえ、入り込む隙がないということだろうか。

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羅城門模型と京都タワー

京都の摩訶異探訪とは

京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。

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