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2019.9.15
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京の迷子石。子どもを持つ親が怖れた、神隠し

「もーいいかい」「まーだだよ」町内のあちこちから、そんな声が聞こえる。かくれんぼをする子どもたちだ。しだいに夕暮れが迫ってきた。「もーいいかい」「……」まだ見つかっていない子が一人。そろそろ夕餉の時刻だ。遊びに飽きて勝手に家に帰ってしまったのかな、と他の子どもたちはかくれんぼをやめ、それぞれ家に帰っていく。

ところが、夜になり、ある家の両親が「うちの子が、帰ってこない」と慌て出す。昼間一緒に遊んだ子どもの家に尋ねてまわるが、誰も、かくれんぼの途中からその子を見ていないという。次の日も、その次の日も、子どもは帰ってこない。そこで町の人たちは「神隠しにあったにちがいない!」と騒ぎ出す。

明治時代の新聞を調べると、忽然と子どもが消えたという記事が掲載されている。ある日突然、人が姿を消してしまう現象を、昔の人は「神隠し」と呼んだ。

子どもの場合、大人たちと出かけて行き、大人の目を盗んで遊んでいるうち、はぐれてしまい迷子になるケースもあったようだ。現代なら、警察に届けて行方を捜査してもらうのだろうが、この時代、行方知れずになった人を探すには、どのような方法があったのだろう。

 

京都有数の盛り場として賑わう新京極通に、その名残があると聞いて、歩いてみた。


新京極商店通(四条側から)

明治5年、新京極通は東京奠都(てんと)で意気消沈した京都の復興政策の一つとして作られた。その新京極通三条下る桜之町(ろっくんプラザ東隣)にある誓願寺(さいがんじ)新京極通がなかった時代、この地に広大な敷地を誇っていて、境内に芝居小屋や見世物小屋、露店が建ち並び賑わっていた。

 


誓願寺


国会図書館デジタルコレクション所蔵『京都名勝便覧図会 明治改正』より。
よく見ると人、人、人で、賑わっている様子がわかる

その門前の左脇には今も、「迷子みちしるべ」と刻まれた石柱が立つ。これは当時、多くの人が往来する辻や参詣者で賑わう寺社に立てられ、人々や行方不明者の情報を知らせる掲示板として活躍した。


誓願寺前の迷子みちしるべ石

石柱をよく観察すると、右側の面に「教しゆる方」、左面の面には「さがす方」と彫ってある。つまり、右側には迷子を見つけた人がその子の家や両親を探すために子どもの特徴を書いた紙を貼りつける。そして左側には、行方知れずになった子どもの親が我が子の容姿、身につけていたものなどの特徴や連絡先を書いた紙を貼った。

この掲示板のおかげで、6~7割の行方不明者の身元が判明したという。それでもわからない時は、「神隠し」とか「天狗さらい」と言ったようだ。

福知山では、暗くなって「かくれんぼ」をすると「隠し神さん」に隠されると恐れ、夕暮れ時には遊びを切り上げて帰ってくるよう、親は子どもたちを戒めたという。また、京都市内でも昭和中頃まで、「ことりがくるさかい、はよ、帰り」と大人たちが急かしたと聞く。

京都で迷子みちしるべが現存する場所は、三箇所。一つはこの誓願寺の迷子みちしるべ、八坂神社の月下氷人石、北野天満宮の奇縁氷人石が、それだ。

現在では、新京極通を歩く人たちが迷子みちしるべに気を留める様子はほとんどない。だが昔、掲示板の役割を果たしたこの習俗を、石柱はひっそりと今に伝えている。


大正末期から書和初期の絵葉書。
新京極。奥に鳥居が見える(著者所蔵)


江戸時代の古絵図『文久改正新増細見京絵圖大全完』
御池から四条。上が北、下が南(著者所蔵)

京都の摩訶異探訪とは

京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。

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