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棚倉駅

棚倉駅前にある蟹満寺を示す石碑

蟹満寺
本尊の釈迦如来は白鳳時代の名作で国宝に指定されている。2010年に落慶法要が営まれた本堂の蟇股には蟹、燈篭にも蟹、香炉にも蟹が! 蟹と蓮の花が一体になったデザインは素敵で、この古刹と蟹との縁がいかに深いかを物語っている。

蟹満寺の常香炉の蟹の紋章
その寺に伝わる「蟹の恩返し」の霊験談は、異記によると、次のようになる。
山城国に信心深い父娘がいた。ある日、娘は村人がとらえた蟹を助け、逃げしてやる。また、父は蛇に呑まれようとしている蛙を見つけ、「娘を嫁にやるから」と約束し、蛙を助けた。
その夜のこと、一人の立派な男が娘をもらいたいと訪ねてくる。その男の正体は、蛇であった。そこで親子は少し待ってくれと言い、いったん男を返し、その間に建物に板を打ち付け、中にこもって観音経普門品を唱えた。
再び、やってきた男は、約束が違うと怒り、蛇の姿に戻って暴れだす。やがて物音が静まり、夜が明けてから、父娘が家の外に出てみると、蛇はあちこちを蟹のハサミでちょん切られて死んでいた、という。命を助けてもらった蟹が、娘のために蛇を退治したのだった。
木津川市の昔話としては、先のように伝わるが、元ネタとなった『日本霊異記』では、「蟹と蛙の命を買い取って放し、現世で蟹に助けられた話 第十二話」として、娘が8匹の蟹と大きな蛙を助け、8匹の蟹が蛇をずたずたに切った、という話になっている。
この山城町に伝わる蟹のエピソードが、全国に伝えられる、蛙を蛇から助けて、蛙が恩返しをする「蛇婿入譚」という話の発端として各地に広がっていったとも聞く。
境内には「悟りなき蟹だに 猶 恩を受くれば恩を返報す 豈 人にして恩を忘る應からむや」との立札があった。

境内にある立て札
こういった逸話から、仏教の教えは広く浸透していったのだろう。ただ、山城の地から海は遠い。水の豊富な土地だと聞くから、この霊験談のモデルは沢蟹だったのだろうか。
逸話の中の娘は観音様のご加護を得たとされ、その観音様が蟹満寺の本尊だともいわれる。また、死んでしまった蛇は蟹と一緒に埋葬されて、その地に堂が建てられた。それが、この蟹満寺のはじまりだったとも伝わっている。亡くなってしまえば、敵味方をこだわらず一緒に埋葬するところはお寺らしいというか、なんとも日本的だ。
山城の地で今も愛されつづける「蟹の恩返し」。伝承・伝説には異類婚姻譚(いるいこんいんたん)など、異界のモノと人とが密接に関わるものが多い。昔は、現代よりも異界が身近なものだったのだろう。
古典に触れて、実際にその舞台の地を歩いてみて、グッ、と異界伝説が身近に感じられた、小さな歩き旅であった。

木津川市山城町の田園風景
京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。