宮中御用達の起源は?
今も昔も、天皇家のお仕事をすることは和菓子職人として最高の誉れでした。また、江戸時代の白砂糖は、金銀と交換されるほど貴重なもの。それゆえ貧困にあえいだ江戸中期、八代将軍徳川吉宗公の命によって京都では砂糖を購入できる権利を与えるお店を248軒に制限しました。このうち、さらに腕を認められた28軒が、現在でいうところの宮中御用達と呼ばれるように。宮中にお菓子を献上する、菊の御紋を象ったお菓子を作ることが許されました。
宮中御用達として選ばれた京菓子屋28軒に大きな転機が訪れたのが、江戸から明治という激動の時代。天皇が東京に移られた時、一緒に東京へと拠点を移すかどうか、選択を迫られました。その中で唯一、東京に移ったのが「とらや」さん。京都に留まった27軒は、同じく京都に残られたお公家様、寺院・神社、茶道のお家元方のためにお菓子を作り続けてきました。そして明治21年には、宮中御用達の京菓子屋が集い「菓匠会」を結成。現在はその流れを汲む18軒が名前を連ねており、毎年1月に宮中で行われる歌会始のために、お題にちなんだお菓子20軒分をお届けしています。また、毎年7月16日は[八坂神社]、12月1日には[北野天満宮]にて開催される献茶会にて、菓匠会も協賛席を設けております。各店の創意工夫が施された工芸菓子をご覧頂きながらお茶席を楽しんでいただき、一般の方にも身近に京菓子を触れてもらう機会づくりを行っております。興味のある方は気軽にのぞいてみてくださいね。
みゆき先生 VOICE
約300年前にさかのぼる創業時、「伊織」という屋号は宮中からいただいたものです。
耳で楽しむ和菓子
美しい見た目、笹などの香り、フワリやツルリといった歯触り、そして味を楽しむ。ここまでは洋菓子にも言えることですが、"耳"でも楽しめるのは和菓子特有。和菓子には「菓銘(かめい)」と呼ばれる名前があり、あじさいの生菓子には「よひらの花」、蝶蝶の形には「春の舞」、鶴を模したまんじゅうは「寿(ことほ)ぎ」というように、風情ある言葉がそれぞれに選ばれています。和菓子は季節や意味まで連想させる、五感の芸術なのです。
みゆき先生 VOICE
1200年もの長きに渡って宮中がおかれた京都。教養ある文化が今も残っている素敵な町ですね。
懐紙を知って、使ってみよう!
平安時代の人々は、ハンカチ、メモ、手紙…といろんな用途に使っていた懐紙。現代の生活の中でも、活躍してくれるシーンがたくさんあります。例えば、ちょっとしたお金を包んだり、パーティーではコースターやカナッペの取り皿に。一度持ち歩くと、その便利さに気づきますよ。
懐紙を使うのはなぜ?
黒文字でキズが付く恐れがある塗りの皿などを使う場合は、懐紙を敷きましょう。それ以外ですと、なくてもOKです。また袋入りのお菓子の下に敷いておくと「どうぞ、懐紙に包んでお持ち帰りください」、というサインになります。
憶えておきたい!懐紙の折り方
日常・慶事は左、弔事は右のように。ずらして重ねた角の部分に違いがあります。着物のうちあわせと同じ、と憶えておくと便利です。
みゆき先生 VOICE
和菓子の砂糖、着物の絹、そして懐紙もまた白。その昔、白は高級なものの象徴でした。