旧暦に願いを託す、京の七夕

毎年、京都では旧暦の七夕にいろいろな寺社や場所で行事が催されている。

国立天文台によると、旧暦の七夕は二十四節気の処暑を含む日かそれよりも前で、処暑に最も近い朔(新月)の瞬間を含む日から数えて7日目になるそうだ。その日は晴天率が高く、月は夜半前に沈むため、天の川が見やすいという。

旧暦の行事として代表的なのが、学問の神様として名高い北野天満宮での「北野七夕祭」である。祭神の菅原道真が七夕の日に歌を詠んだことに因み、神前に道真が愛用したと伝わる松風硯(すずり)や水差し、角盥(たらい)を並べ、左右に詩吟の短冊の代わりに梶の葉、なす、きゅうりといった季節の野菜やそうめん、御手洗団子といったものを供え、無病息災などを祈願する。また、「御手洗川足つけ燈明神事」や「御本殿石の間通り抜け神事」などが行われる。

境内にお邪魔してみると、あちこちに笹飾りが設えられていた。笹の葉と五色の短冊が風に揺れるさまは目にも涼しい。

北野天満宮の鳥居

北野天満宮の境内と七夕飾り

北野天満宮の牛と七夕飾り

北野天満宮境内の鶯橋と七夕飾り

夜間は8月16日(木)までライトアップされ、さらに幻想的な雰囲気になる。ちょうど北野天満宮を訪ねた日(8月5日)、子どもたちの「泣き相撲」が行なわれていた。文武両道の天神様にあやかって、子どもの健やかな成長を祈願するもので、元気な泣き声が境内に響いていた。

境内を歩いて巡り、三光(月・日・星)門と呼ばれる中門をくぐる。この門には月と日の彫刻はあるが、星が無く、星欠けの三光門として天神さんの七不思議のひとつに数えられている。「天神さんの梅と牛の不思議」でも紹介

三光門の日(陽)の彫刻

平安時代、当時の御所から北西の乾にあたる「天門」に、この社は創建された。帝がこの社にお祈りをされる際に、三光門の上に北極星が瞬いていたといわれ、それが星の彫刻がない理由だとも伝わる。この伝承が日・月・星が天皇や国民、国家の平和と安寧にかかわるとする三辰信仰と結びつき、天のエネルギーが満ちる聖地として信仰されるようになった。

 

また近頃は「京の七夕」と称し、北野天満宮の他にも、鴨川河川敷や堀川の遊歩道、梅小路公園、岡崎公園などでさまざまな旧暦の七夕祭りの行事やイベントを楽しむことができる。

元来、七夕の行事は中国から伝わった乞巧奠(きっこうでん)という、7月7日に織姫星に機織りや裁縫の上達を願うものと、日本古来の棚機津女(たなばたつめ)信仰とが融合したとされる。棚機津女は水辺で機織りをし、7月7日の夜に神様を迎えて禊の儀式をした乙女のことで、7日の夕方のことを七夕(たなばた)と書くようになったとのこと。

平安時代は宮中で供物をし、楽を奏でたり、和歌や詩歌を詠んだりしたが、江戸時代に入って庶民にも広まり、笹飾りを家の軒先に立て、芸事の上達を願うようになった。現在は織物や裁縫、芸事だけでなく、さまざまな願い事を短冊に託す。その願い事を結ぶ笹(竹)は古来より、まっすぐ天に向かって伸びる笹や竹は霊力があるとされ、葉がこすれ合う音は天に届くといわれている。また、笹や竹の葉には強い殺菌作用があることから、魔除けの効果や邪気を払ってくれると信じられた。


京の七夕の鴨川会場で見つけた、
竹カゴの伝統技術を取り入れた風鈴灯

ちなみに、七夕にはそうめんを食べる風習がある。天の川や織り姫の織り糸を模しているとか。色つきのそうめんは短冊の五色になぞらえて、厄除けになるそうだ。


そうめん(フリー画像

2018年、太陰太陽暦(旧暦)の「伝統的七夕」は、8月17日にあたる。国立天文台が7月7日は梅雨で天の川が見られないことが多いため、旧暦7月7日を伝統的七夕として、広めているのだとか。伝統的七夕には、エネルギーが満ちるという北野天満宮の星欠け門の前で、笹飾りと天の川を眺めながら、秋の訪れと一年の無病息災を願いたい。

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京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。

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