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2017.8.15
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「五山の送り火」は、昔、五山だけではなかった!

8月16日の夜8時、順次、五山に送り火が灯される。盆の入りに各家々に迎えられた先祖の霊は、五山の送り火とともに、あの世へ戻っていくといわれる。今ではすっかり京都の夏の風物詩のひとつとなっている。

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大文字(イメージ)

闇のなかにポッと朱く大文字が浮かび上がるのを見ていると、そろそろ猛暑も終わりだなとホッとすると同時に、今年も無事に五山の送り火を見届けることができたと感慨深い気持ちにもなる。

五山の送り火の起源は明らかではないが、取材によると、記録としてはおよそ400年前に遡るらしい。その原型は、応仁の乱後、荒廃した京の町に満ちる死者の怨霊を鎮め、供養するために行われた万灯籠だといわれる。やはり昔から、火には魔除けの力と鎮魂の力があると考えられていたのだろう。それが、お盆の精霊供養の行事として定着していったようだ。

現在の送り火は、大文字山の「大文字」、松ヶ崎西山の「妙」、同じ松ヶ崎東山の「法」、西賀茂船山の「船形」、大北山の「左大文字」、曼荼羅山の「鳥居形」の5つだ。取材を重ねていくうちに、古くは、十山で送り火が灯されていたことがわかった。

市原の「い」、鳴滝の「一」、西山の「竹の先に鈴」、北嵯峨の「蛇」、観空寺村の「長刀」があったとされる。いの一番の「い」や「一」は物事のはじまりとして尊ばれる数字であるし、成長を意味する竹や澄んだ鈴の音は縁起物であり、脱皮する蛇は再生の象徴、そして長刀は魔を払ってくれる。

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江戸時代の古地図にみる、「い」と「妙法」

いずれも怨霊鎮めや死者を弔う意味合いが感じ取れる。ただ、残念なことに、それらは資金難で失われてしまったと聞く。今後、祇園祭の大船鉾のように復活し、その姿を目にすることができるのだろうか。

連綿とつづいてきた送り火だが、これまでに権力者の死や自然災害、太平洋戦争など、何度も自粛や中止の憂き目にあっている。江戸時代の中頃には、大干ばつで琵琶湖の水位が3mも下がり、火災防止のために送り火が中止されたこともあった。火事が何よりも怖かったということなのだろう。

また、興味深いのは幕末。16日の送り火の日が月食と重なってしまい、「揚げ火は明くる17日に延期せよ」とのお触れが出されている。

古来、月食や日食は天変地異の前触れとされ、不吉だと思われてきた。古人は、その日は屋敷にこもって外に出ず、月や太陽が元の姿に戻るのを戦々恐々として待ったのだ。

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月食(イメージ)

今年は日本でも8月8日早朝に部分月食が起こっているので、16日の夜は安心して五山の送り火を見ることができそうだ。送り火が灯される時間は約30分だ。これは昔から変わらないという。

さて、いつの頃からか、五山の送り火には先祖の霊を送るだけでなく、次ぎのような風流なご利益があると囁かれるようになった。

送り火の「大」の字を杯に映して、それを飲み干すと1年間、無病息災でいられるそうだ。また、送り火の後、火床の消し炭を半紙に包み、水引をかけて家の門口に吊すと、次の送り火まで厄除け、盗難除けになるという。ほかにも、消し炭を煎じて飲むと腹痛に効くとか。実際、大文字山の麓の町並みを歩いていると、店や家の軒に消し炭が吊されているのを目にする。

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大の字の「カナワ」の火床

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送り火に使われる松の割木

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銀閣寺門前商店街の民家の軒先に
吊された大文字の消し炭

まだ一度も消し炭をいただいたことがないので、今年こそ、がんばって手に入れて、1年間のお守りにしたいと思う。

 

京都の摩訶異探訪とは

京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。。

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