沖縄誕生の地・久高島で、神々と共に生きる人々と出会う/旅好き編集部おすすめ、1泊2日沖縄離島旅の体験レポ 前編
- 2020/3/26(木)
- 京都から旅へ
旅好きな私が京都を飛び出して、今回特別にお邪魔させていただいたのは、沖縄県。関西には、LCC(格安航空)の本数が多い関西国際空港や大阪伊丹空港、神戸空港があり、以前に増して旅は気軽に思い立った瞬間飛び立てる存在になりました。定番の沖縄本島旅より、少し変わった場所に行きたいと思い、沖縄県南部に位置する離島・久高島へ。”神聖な島”だという噂は聞いていましたが、なぜそのように呼ばれる島なのか。1泊2日旅の前編は、久高島の歴史や自然を歩いて散策しながら学びます。初めて訪れた私にも優しい島の人々。温かな時間がたっぷりと流れていました。
INDEX
・那覇から約1時間。沖縄誕生の地・久高島へ
・琉球の神が住む島といわれる理由は...
・女神・アマミキヨがニライカナイから降り立った浜辺へ
・カチャーシーで73歳を祝う。島の人々の優しさを体感
・毛遊び(もーあしびー)で久高島がもっと身近な存在に
那覇から約1時間。沖縄誕生の地・久高島へ
安座真港から出発。往復1,480円で高速船に乗って久高島へ
離島といえば、少しハードルが高いイメージですが、沖縄県には本島から気軽に行ける島がたくさんあります。今回訪れた久高島もそのひとつです。那覇空港からは、レンタカーで約45分、久高島へ向かうフェリーのある安座真港(南城市)を目指します。運転ができないという方でも、那覇バスターミナルからバスに乗って約1時間、安座真サンサンビーチ入口で下車すると目的の港の近くに到着することができます。
安座真港から高速船で約15分、フェリーだと約25分で目的の久高島に到着します。13時発の高速船に乗って、1泊2日の久高島の旅へといざ出発。
安座真港から出発を待つ船
初めて出会った隣の方とも一気に仲良くなってしまうほど、親しみやすいコンパクトさがウリの高速船。揺れも少なかったので、外の様子を見にデッキに出てみることにしました。キラキラと輝く水面や空を見上げるのもつかの間、ほどなく久高島に到着しました。
天気がいい日は絶対にデッキへ!
奥に久高島が見えてきました!
琉球の神が住む島といわれる理由は...
久高島には神々を祀る拝所が多数ある
久高島のことイチから知りたいと思い、まずは歴史と文化を深く知れる久高島ガイドツアーに参加しました。このガイドツアーは、南城市観光協会認定ガイド「アマミキヨ浪漫の会」久高支部の地元島人メンバーのみなさんが案内してくれ、コースによって、所要時間や内容も異なります。
この日は、久高島の主要なスポットを2時間かけてまわる「久高島行幸コース」に参加しました。
ガイドを務めてくれた、久高島生まれ、久高島育ちの西銘 武良さん
まずは久高島がどんな場所なのか簡単に教えていただきました。
久高島とは?
・琉球を創ったとされる神様「アマミキヨ」が天から舞い降りた島
・五穀発祥の伝説の他、琉球王家と関わる様々な伝説も残る
・御嶽(うたき)や拝所(うがんじゅ)など、数々の祈りの場が今も残る
・12年に一度「イザイホー」という神事が行われていたが、1978年以降は中止となっている
・今もなお、琉球開闢や五穀発祥にまつわる祭りが年間約30行われている
・立ち入りが制限され、一般の村人さえ入れない御嶽もある
・女性を守護神とする文化が継承されている
つまり、この島に「アマミキヨ」が降り立ったことで沖縄が生まれたのだ。琉球の神話の数々が残る久高島では、180人ほどの島の人々が今でも古来の風習を大切に守り、神々と共に生きているのです。
基本的なことを学んだ後は、早速歩いて島内を散策します。赤瓦の家やシーサー、ゴツゴツとした石垣、軒先からそっと顔を出す色とりどりのハイビスカスやブーゲンビリアの花...周りの風景を眺めるだけでも、私が住む京都とは全く違う世界。それだけでも「沖縄に来てるんだ〜」と旅のわくわく感が高まります。「こんにちは」と挨拶をすると「どこから来たの?」と島の方が気さくに話しかけてくれました。全長約3km、一周約8km、誰もが家族のような存在のこの島の人々は、初めて訪れた私にも優しく接してくれ、それだけでもほっと温かい気持ちになりました。
白い瓦屋根が青い空の下で輝いています
ちなみに、久高島の土地は、個人所有ではなく、島民がみんなで持つ”総有”。琉球王朝時代の「地割制度」が今でも残っています。つまり、土地もみんなで分配して、大切に守り続けているのです。
きれいに整列した石が、土地と土地の間を区切っていました
島の暮らしを感じながら歩き進めること約5分、まず向かったのは「君泊(ちみんとぅまい)、大君口(うぷしんぐち)」です。ここは琉球王国時代、聞得大君(きこえおおぎみ=第二尚氏時代の琉球神道における最高神女[ノロ])と国王が来島する際に使われた港だと伝わります。この港からは、なんと約5,000年前の貝塚も見つかっています。
この先に見える海のが君泊
続いて、島で年間の主要な祭りが行われる「御殿庭(うどぅんみゃー)」へ向かいます。
御殿庭には、島の人々にとって大切な建物が3つ並んでいました
中央に建つのが神を招き、祭事を行なう場所「神アシャギ」です。右側は、久高島の人々の始祖のひとりと言われる百名シラタルーを祀った「拝殿」、左側には神の使いで聖なる食べ物とされたイラブー(ウミヘビ)を燻製する「バイカンヤー」があります。イラブーは滋養強壮にいい食材として珍重され、琉球王国時代には国王へ献上していたのだそう。今でもイラブー漁は続き、イラブーを食べる文化も残っています。実際に私も食べてみたのですが、その様子はまた後編で。
「御殿庭」は「イザイホー」で最も重要な祭場です。そもそも「イザイホー」とは、12年に一度の午年、久高島で生まれた30歳から41歳までの女性が、祖先の霊力を受け、島の祭りを行う一員になるための儀式でした。中央の「神アシャギ」は神の木と言われるクバで一面覆われ、入口には現世と来世をつなぐ”七つ橋”がかけられたそうです。1978年以降は、後継者不足などが理由で行われていないのだとか。
五穀豊穣の神として祀られるアカッツミー夫婦がいたとされる、久高島の旧家のひとつ、大里家(うぷらとぅ)にも足を運びました。大里家には、娘のクンチャサヌルが、久高島にやってきた尚徳王と恋仲になった伝説も残っているのだそうです。
大里家(うぷらとぅ)
それにしても、小さな島だというのに、祈りの場所が多いことがなんとも印象的です。御殿庭や大里家以外にもたくさんあり、拝所の前には入れ替わり立ち替わり島の人々がやってきます。年間約30のお祭りが行われるとなると、単純に計算しても毎月2回は御嶽や拝所へ向かうことになります。考えただけでも、神々の存在は切っても切れないものだと、実感させられます。
島には祈りのシンボルが点在。玄関前では家ごとに表情が違うシーサーが家内安全を祈ります
女神・アマミキヨがニライカナイから降り立った浜辺へ
ハビャーンの全景
ツアーで様々な歴史を学んだ後は、アマミキヨが初めて降り立ったとされる浜「ハビャーン(カベール岬)」へ向かいました。島の最北端にあるハビャーンまでは、両端に神の木とされるクバの森を備え、真っ白な砂の道がずーっと続きます。集落からだと徒歩で約1時間、周りには風に揺れる木々の音だけが、ザワザワッと響きます。この道を歩いているだけでもなんだか落ち着く...。この感覚も神々に守られパワーがみなぎる久高島ならではのものかもしれません。
ずーっと続くクバの森と白い道は絶好の撮影スポットでもあります
そうこうしていると目の前に「ハビャーン」の入口を示す看板を発見しました。ほどなく、エメラルドグリーンに輝く海が目の前に広がったのです。その瞬間、思わず「うわぁーーー、きれい。」という言葉が溢れてしまいました。ゴツゴツとした岩に腰掛けて、しばしの鑑賞タイム。こんなに澄んだ海はめったに見れるものではありません。写真におさめようとしても、目で見た感動はなかなか伝わらないものです。せめて目にしっかり焼き付けておこうと、しばらくその場から立ち上がることができなかったのを覚えています。
写真に一生懸命おさめようとしますが...なかなかこの感動は写真では伝わりません
カチャーシーで73歳を祝う。島の人々の優しさを体感
元気いっぱいの島の子どもたちにも遭遇
ハビャーンの美しさへの興奮が残る中、続いてレンタサイクルで集落をまわってみることにしました。ちょっとお菓子が買いたくなって立ち寄ったのは「内間商店」。コンビニもスーパーもない久高島にとっては、商店が欠かせない存在です。
内間商店。野菜や缶詰、飲み物、お菓子、生活用品などが揃う
お店に入ろうとすると、なんだかその周りが騒がしい様子。買い物を済ませ、お会計をしていると「うるさくてごめんなさいね〜」とお店の方が声をかけてくれました。話を聞いてみると、なんとこの日はこちらのお父さんの73歳のお祝い・トゥシビーが行われている真っ只中だったそうです。いわゆる、喜寿(77歳)のお祝いのように、長寿を祝っていたのがトゥシビーです。沖縄では、13歳、25歳、37歳、49歳、61歳、73歳、85歳、97歳と、12年に一度自分の生まれた干支が回ってきた年にお祝いがあるのだそうです。
「お祝いだから、よかったら上がって見ていきます?」。初めて会ったにも関わらず、なんとお宅の中に招き入れてくれました。軽やかな三線の音に合わせて、勇ましく舞う男性の姿があり、73歳を迎えた主役のお父さんが目の前にいました。「よかったら一緒にカチャーシーを踊りましょう!」。普段だったら、初めて会った人と踊ることも、ましてやお宅にお邪魔することもそうそうありませんよね。でも、旅に出るとなにか違うスイッチが入ってしまうのか、その島の雰囲気にすっかり魅了され、いつもと違う体験がとっても嬉しく感じるのです。みなさんに「こうやって踊るんだよ〜」と手ほどきを受けながら、楽しいひとときを過ごさせていただきました。お父さんのお祝いなのに、なぜかこちらまで嬉しい気持ち。島の人々の優しさにふれることができた瞬間でした。
トゥシビーの様子。お祝いのお酒を酌み交わします
お父さんのそばには97歳の元気なおばぁの姿もありました
毛遊び(もーあしびー)で久高島がもっと身近な存在に
歌ったり、踊ったり、美味しいごはんを食べたり、楽しい時間が続く毛遊び(もーあしびー)を初体験
時刻はすっかり夕方に。きれいな夕日が見えるからと、島の西側にあるキャンプ場へ案内してもらいました、。海の向こうに見えるのが今日船で渡ってきた安座真港かなと海を眺めていると、だんだんと陽が沈みはじめました。そして、真っ赤な夕日が目の前に現れたのです!京都だと海を見ることはまして、ゆっくりと沈む夕日をまじまじと見ることもありません。島に来てからずっと思っていたんですが...建物が低いとこれほど空が広いのか〜とさらに感じさせられたのです。「寒いから帰りましょう」と声をかけられなければ、きっと1時間でもここでぼーっと過ごしていたことだと思います。
「何もないよ〜」と島の方は言いますが、その何もないのがいいんです。空が広かったり、海の音が聞こえたり...当たり前のことが、私にとっては非日常で、とっても幸せな瞬間だと感じました。
キラキラと輝く夕日
夕食は今日ガイドをしてくれた西銘さんをはじめ、島の方々と特別に毛遊び(もーあしびー)をさせていただきました。まって、、、「毛遊び」って何?と思った方も多いと思います。私も説明をしてもらうまで、頭に「?」マークが浮かんでいました。「毛遊び」とは、夕刻から深夜にかけて、若い男女が野原や海辺に集って飲食を共にし、歌舞を中心として交流した集会のことを言います。昔は両親や親戚からも公認の集まりとして行われ、そこで出会って交際に発展することもあれば、三線や踊りを競い合い技を磨く場所でもあったのだとか。現在では、ビーチパーティーがその文化に近いものだと言われているようです。
ただ、この日は残念ながら強風だったこともあり、浜辺での毛遊びは断念。代わりに島の区長さんのご自宅にお邪魔させていただきました。到着すると、島の食材を使った料理が次々と食卓に並んでいるところでした。焼いた島野菜は、甘みが深く塩だけで美味しい!ふわふわのもずくの天ぷらやタコと玉ねぎの和え物など、シンプルだからこそ、素材の良さを感じられるのです。こんなご飯が毎日食べれたらなんて幸せだろう〜といつも以上に食欲旺盛になってしまったのは言わずもがなです。
普段なら丸ごとピーマンだけを食べることはありませんが、あまりの美味しさにペロッと完食
三線も得意なガイドの西銘さんが「今日は三線の先輩を呼んでいるよ〜」と、90歳を越えてもなお現役のおじぃを呼んでくれました。手に抱えるのは、年季の入った三線。こんなにまじまじと近くで演奏を聴かせてもらうこともないので、思わず見入ってしまいます。三線の歴史や歌の背景などを丁寧に教えてくれながら、たくさんの曲を演奏してくれました。本当に90歳!?と思うくらいお元気で、こちらがびっくりするくらいです。深みのあるおじぃの声はじーーんと心の奥まで響きます。昔の久高島のこと、戦争中のこと、おじぃが本島と久高島を結ぶ船を作ったことなど、話しは尽きません。どれだけ動画や本で学んでも、今日島の人たちとふれあって知った情報に勝るものはないと思います。最後に西銘さんの三線に合わせてみんなでカチャーシーを踊りながら、何度も今日見た風景を思い出したのでした。
渋く透き通ったおじぃの声と心地よい三線の音が久高島の夜に響きます
久高島の散策や人々との出会いを通して、その島の歴史や成り立ちを深く知ることができた1日目。普段ではなかなか体験できない、初めての出会いを存分に楽しませていただきました。2日目は島グルメを通して、久高島の魅力に迫っていきます!続きは後編へ。
協力/NPO法人 久高島振興会、一般財団法人 沖縄観光コンベンションビューロー